NO.191
坂名:道玄坂
住所:東京都渋谷区道玄坂
どうげん坂と呼ぶそうで、そのほかにも道源坂や道元坂という別名があるそうです。
場所は、いわずと知れた渋谷駅そばの109から246号のある南西のほうに向かって上っていく坂道です。
しかも地図で確認すると坂道の地下(どれくらい深いかはわかりませんけど)を東急田園都市線が走っていたりして、けっこう複雑な地形構造になっているのかもしれないですよ。
そんなわけで、ここは人の多いときにしか歩くことがなかったものでなかなかうまい写真が撮れずにいたため延ばしのばしになっていたんですけど、最近やっと写真もとりつつ歩くことができたので、今回は2回くらいにわけて書いていこうかなと思います。
(なんか気がつけばさらに追加すると思いますけど。)

写真1(坂下より)
もうこれは渋谷を歩いたことがあるかたなら言わずもがなの場所ですけど、JR渋谷駅前のスクランブル交差点のあたりから109のほうを眺めたものです。(写真1)
ごらんの通りですけど、始発ちょっと後くらいの時間だったので、とにかく人がいなくて写真が撮りやすかったですよ。(笑)
あとはこの写真をじっと見ていると、109の左右にユニクロとH&Mの看板が見えていたりと、勢いのある会社の看板がどんと大きくあって、今はこういう時代なのかもなあとしみじみと思ってみたり。。

写真2(坂の途中より)
次は109を横に見ながら、もうすこし坂を上り、坂上のほうを見てました。(写真2)
こうして見ると、実際に坂道を歩いている時は、道を歩く人やまわりのお店や看板に気をとられて意識してなかったんですけど、実は道路沿いの街路樹がけっこう立派に育っていて、なかなかいい感じで見えていますね。
まあ、午前10時あたりを過ぎると、このあたりは一気に人通りも多くなり、道行く車も半端ではなくなり、道沿いには車がたくさん駐車しはじめて、坂の観察どころではないんですけど、この時間帯なら、人や車にじゃまされずじっくりと坂道を眺めることができてよかったです。

写真3(坂の途中より)
もうすこし坂を上り、坂下のほうを眺めながらぱちりと。(写真3)
ここも実は手前の街路樹がトンネルつくっていましたよ。(笑)

写真4(坂の途中より)
さらに坂を上り、坂上のほうを眺めたものです。(写真4)
坂道自体はカーブしながら上っていくのでなかなかおもしろい感じでしたよ。
ただ、なんだか写真だけみると普通な感じですね。(汗)
実際は、このあたりは渋谷でも指折りの繁華街なので両サイドに色とりどりのいろんな店構えをしたまちなみ(これをまちの都市計画なんかを考えるようなまじめで偉い人が見ると「ごちゃごちゃしていて息がつまる場所」なんて感じで自著なんかに書きそうですけど・・・)が続いているんですけどね。
(個人的にはこういうところをぶらぶら歩いて人物観察するのはけっこう好きですよ。)

写真5(坂の途中より)
そして、前半最後の写真は、さらに坂を上り、坂下のほうを見たものです。(写真5)
とりあえず、この写真なら、坂道の勾配具合やら周辺の繁華街具合がすこしわかりやすいんじゃないですかね。
なので、この左側の奥あたりがこちらもいわずと知れた百軒店(ひゃっけんだな)になりますかね。
という感じで、今回はいったんこのあたりで中断して、ちょっとばかし、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」にもやはり、道玄坂についての説明があったので、すこし抜粋してみるとですね、
『いわゆる山の手の代表的な盛り場であるこの渋谷道玄坂付近も、江戸のころはきわめて寂しい野中の坂道で、(略)その当時はむしろ宮益坂(富士見坂)のほうが厚木道の立場として、茶店が並びにぎわっていたといわれる。』
とありました。
まあ、そういわれてみればそうですよね。
いまでこそ同じくらい発展してますけど。
あと、もうひとつ、
『戦後の道玄坂には恋文横丁とよばれるような占領治下の独特な風俗が誕生して丹羽文雄が新聞小説に描き、映画にもなったが、いまはそれもなくなってビルの敷地となっている』
とも書かれていて、あっ、そういえばこのブログでも恋文横丁のこと書いたなあと調べてみると、“恋文横丁と109”でとりあげていましたよ。
なので、かつての恋文横丁は、今の109とユニクロの入っているビルとヤマダ電機のビルのある場所あたりにあったみたいですね。
地図:渋谷区道玄坂2
関連リンク:
坂名:道玄坂
住所:東京都渋谷区道玄坂
どうげん坂と呼ぶそうで、そのほかにも道源坂や道元坂という別名があるそうです。
場所は、いわずと知れた渋谷駅そばの109から246号のある南西のほうに向かって上っていく坂道です。
しかも地図で確認すると坂道の地下(どれくらい深いかはわかりませんけど)を東急田園都市線が走っていたりして、けっこう複雑な地形構造になっているのかもしれないですよ。
そんなわけで、ここは人の多いときにしか歩くことがなかったものでなかなかうまい写真が撮れずにいたため延ばしのばしになっていたんですけど、最近やっと写真もとりつつ歩くことができたので、今回は2回くらいにわけて書いていこうかなと思います。
(なんか気がつけばさらに追加すると思いますけど。)

写真1(坂下より)
もうこれは渋谷を歩いたことがあるかたなら言わずもがなの場所ですけど、JR渋谷駅前のスクランブル交差点のあたりから109のほうを眺めたものです。(写真1)
ごらんの通りですけど、始発ちょっと後くらいの時間だったので、とにかく人がいなくて写真が撮りやすかったですよ。(笑)
あとはこの写真をじっと見ていると、109の左右にユニクロとH&Mの看板が見えていたりと、勢いのある会社の看板がどんと大きくあって、今はこういう時代なのかもなあとしみじみと思ってみたり。。

写真2(坂の途中より)
次は109を横に見ながら、もうすこし坂を上り、坂上のほうを見てました。(写真2)
こうして見ると、実際に坂道を歩いている時は、道を歩く人やまわりのお店や看板に気をとられて意識してなかったんですけど、実は道路沿いの街路樹がけっこう立派に育っていて、なかなかいい感じで見えていますね。
まあ、午前10時あたりを過ぎると、このあたりは一気に人通りも多くなり、道行く車も半端ではなくなり、道沿いには車がたくさん駐車しはじめて、坂の観察どころではないんですけど、この時間帯なら、人や車にじゃまされずじっくりと坂道を眺めることができてよかったです。

写真3(坂の途中より)
もうすこし坂を上り、坂下のほうを眺めながらぱちりと。(写真3)
ここも実は手前の街路樹がトンネルつくっていましたよ。(笑)

写真4(坂の途中より)
さらに坂を上り、坂上のほうを眺めたものです。(写真4)
坂道自体はカーブしながら上っていくのでなかなかおもしろい感じでしたよ。
ただ、なんだか写真だけみると普通な感じですね。(汗)
実際は、このあたりは渋谷でも指折りの繁華街なので両サイドに色とりどりのいろんな店構えをしたまちなみ(これをまちの都市計画なんかを考えるようなまじめで偉い人が見ると「ごちゃごちゃしていて息がつまる場所」なんて感じで自著なんかに書きそうですけど・・・)が続いているんですけどね。
(個人的にはこういうところをぶらぶら歩いて人物観察するのはけっこう好きですよ。)

写真5(坂の途中より)
そして、前半最後の写真は、さらに坂を上り、坂下のほうを見たものです。(写真5)
とりあえず、この写真なら、坂道の勾配具合やら周辺の繁華街具合がすこしわかりやすいんじゃないですかね。
なので、この左側の奥あたりがこちらもいわずと知れた百軒店(ひゃっけんだな)になりますかね。
という感じで、今回はいったんこのあたりで中断して、ちょっとばかし、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」にもやはり、道玄坂についての説明があったので、すこし抜粋してみるとですね、
『いわゆる山の手の代表的な盛り場であるこの渋谷道玄坂付近も、江戸のころはきわめて寂しい野中の坂道で、(略)その当時はむしろ宮益坂(富士見坂)のほうが厚木道の立場として、茶店が並びにぎわっていたといわれる。』
とありました。
まあ、そういわれてみればそうですよね。
いまでこそ同じくらい発展してますけど。
あと、もうひとつ、
『戦後の道玄坂には恋文横丁とよばれるような占領治下の独特な風俗が誕生して丹羽文雄が新聞小説に描き、映画にもなったが、いまはそれもなくなってビルの敷地となっている』
とも書かれていて、あっ、そういえばこのブログでも恋文横丁のこと書いたなあと調べてみると、“恋文横丁と109”でとりあげていましたよ。
なので、かつての恋文横丁は、今の109とユニクロの入っているビルとヤマダ電機のビルのある場所あたりにあったみたいですね。
地図:渋谷区道玄坂2
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