今回は、文京区の坂道散歩を最近再開してわかったことです。
実は、「江戸東京坂道事典」や「江戸の坂東京の坂 」に、今回の芥坂のことが書かれているのですが、その中で、なんと、芥坂の別名が「立爪坂」ということみたいなんですよ。
(この立爪坂は、以前に書いた、"とある街の風景(立爪坂)"でとりあげた坂道のことなんです。)
とりあえず、江戸東京坂道辞典には、
『妻恋坂の中腹を北へ折れて上る湯島三丁目の坂で、立爪坂の別名があるのでもとは険しい坂だったのであろう。「府内備考」の湯島三組町の条に「芥坂は妻恋坂の中腹より北へ通る坂なり、その辺芥を捨てる処なれば里俗呼名とせりとあり、(略)』
と書かれてありました。
なので、昔は立爪坂という坂名よりも「芥坂」という名のほうが、一般的だったようですね。
そんな具合に芥坂の別名として、立爪坂という感じで本には書かれていたので、ぜんぜん気がつきませんでした。
しかも、江戸の坂にも、ちらりと書いてありましたよ。(汗)
ただ、その地図上の場所については、江戸東京坂道事典でも、芥坂は妻恋坂の中腹より北へ通る坂道というくらいにしか書かれていないこともあり、本当に正確な場所はわかりませんでしたけど、とりあえず、以前に書いた”とある街の風景(立爪坂)”と今回の芥坂(NO.181)”とは、同じ坂道として扱ってもいいのかもなあということで、今回メモがわりに書いておくことにしました。
ちなみに、芥坂について、「江戸の坂東京の坂」の本には、ここ以外にも東京には七カ所ほど残っているとのことで、本文には、
『こんなわけで、江戸時代の芥坂は、衛生的なところとは言えなかった。しかし、その芥捨場に簡単な施設をしたり、溜った芥を車に積んで、河岸についている芥船運んで行き、その船に芥を移して、指定された埋立予定地まで、芥を捨てに行く、その一切の費用は、その町内でまかなっていたのである。勝手に坂の下へ芥を溜めていたわけではなかったのである』
とあり、芥坂だからといって、その道周辺に、ゴミが散乱していたという感じでもなく、ましてや、ゴミの不法投棄の場所ということでもなかったみたいですね。
要は、東京に七カ所しかなかったということからも、ちょうど坂道の勾配のおかげで道のわきにゴミをおいても、ふつうの道のわきにおくよりはそれほど目につかないだろうし、昔は、そういう芥坂と名のついた坂がゴミ置き場というか保管場所的な役割の場所だったのかもしれないですね。(かなりいいかげんな予測ですけどね。。)
ということで、詳しい坂道の写真や状況などについては、以前書いたものでなんですけど、とある街の風景(立爪坂)のほうに書いてますので、よかったら見てくださいね。
→とある街の風景(立爪坂)
地図
文京区湯島3
追記(20230312)
立爪坂は前に、とある街の風景のカテゴリーで取り上げていましたが、これまでの調査や他の資料からも立爪坂ということは間違いなさそうなので、ナンバリングしたこともあり、今回の記事は、その第2弾という扱いにするため、タイトルの方に追記しました。
実は、「江戸東京坂道事典」や「江戸の坂東京の坂 」に、今回の芥坂のことが書かれているのですが、その中で、なんと、芥坂の別名が「立爪坂」ということみたいなんですよ。
(この立爪坂は、以前に書いた、"とある街の風景(立爪坂)"でとりあげた坂道のことなんです。)
とりあえず、江戸東京坂道辞典には、
『妻恋坂の中腹を北へ折れて上る湯島三丁目の坂で、立爪坂の別名があるのでもとは険しい坂だったのであろう。「府内備考」の湯島三組町の条に「芥坂は妻恋坂の中腹より北へ通る坂なり、その辺芥を捨てる処なれば里俗呼名とせりとあり、(略)』
と書かれてありました。
なので、昔は立爪坂という坂名よりも「芥坂」という名のほうが、一般的だったようですね。
そんな具合に芥坂の別名として、立爪坂という感じで本には書かれていたので、ぜんぜん気がつきませんでした。
しかも、江戸の坂にも、ちらりと書いてありましたよ。(汗)
ただ、その地図上の場所については、江戸東京坂道事典でも、芥坂は妻恋坂の中腹より北へ通る坂道というくらいにしか書かれていないこともあり、本当に正確な場所はわかりませんでしたけど、とりあえず、以前に書いた”とある街の風景(立爪坂)”と今回の芥坂(NO.181)”とは、同じ坂道として扱ってもいいのかもなあということで、今回メモがわりに書いておくことにしました。
ちなみに、芥坂について、「江戸の坂東京の坂」の本には、ここ以外にも東京には七カ所ほど残っているとのことで、本文には、
『こんなわけで、江戸時代の芥坂は、衛生的なところとは言えなかった。しかし、その芥捨場に簡単な施設をしたり、溜った芥を車に積んで、河岸についている芥船運んで行き、その船に芥を移して、指定された埋立予定地まで、芥を捨てに行く、その一切の費用は、その町内でまかなっていたのである。勝手に坂の下へ芥を溜めていたわけではなかったのである』
とあり、芥坂だからといって、その道周辺に、ゴミが散乱していたという感じでもなく、ましてや、ゴミの不法投棄の場所ということでもなかったみたいですね。
要は、東京に七カ所しかなかったということからも、ちょうど坂道の勾配のおかげで道のわきにゴミをおいても、ふつうの道のわきにおくよりはそれほど目につかないだろうし、昔は、そういう芥坂と名のついた坂がゴミ置き場というか保管場所的な役割の場所だったのかもしれないですね。(かなりいいかげんな予測ですけどね。。)
ということで、詳しい坂道の写真や状況などについては、以前書いたものでなんですけど、とある街の風景(立爪坂)のほうに書いてますので、よかったら見てくださいね。
→
地図
文京区湯島3
追記(20230312)
立爪坂は前に、とある街の風景のカテゴリーで取り上げていましたが、これまでの調査や他の資料からも立爪坂ということは間違いなさそうなので、ナンバリングしたこともあり、今回の記事は、その第2弾という扱いにするため、タイトルの方に追記しました。