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所在地:文京区湯島3と千代田区外神田6

つまごい坂と呼ぶそうで、別名で、大超坂または大潮坂、大長坂、大帳坂とも言われていたそうです。
場所は、蔵前橋通りの北側に位置し、前回の清水坂(NO.169)の坂の途中より東へと下っていく坂道です。

妻恋坂(NO.170)1
坂上より

坂上から坂下のほうを眺めたものです。
いちおう写真でも、ドーナツ型のすべり止めの舗装(かなり雑な道路工事の跡もみられますけど・・・)が見えているとおり、けっこうな勾配具合の坂道で、このあたりは完全に裏道っぽい感じで車の行き来も少なくこのあたりから坂道を眺める分には悪くない感じでした。

ただ・・・。

妻恋坂(NO.170)2
坂上あたり

一枚目の写真と同じ位置から、今度は坂上のほうを眺めてみると・・・・。
まあ、こまかいことはあえて言いませんが(笑)、いちおうひとこと加えておくと、正面のつきあたりの道路が、清水坂(NO.169)ということになりますかね。

妻恋坂(NO.170)3
妻恋神社

あと二枚目の写真にもちらりと見えていたのですが、実は妻恋神社なる神社の入口もあったんですよ。(この写真は鳥居ですけどね。。)
妻恋神社についての詳しいことは公式HPもあるみたいなので、そちらをどうぞ。
妻恋神社のHP

妻恋坂(NO.170)4
坂の途中より

そして、もうすこし坂を下り、坂上のほうを見たものです。
なんていうか、このあたりは住宅街なのか、都内の駅前によくあるビル路地(?)のような道なのかわかりませんが、この坂道を歩いていると、どちらかというと、後者のような印象があったかもです。

ちなみにこの坂道にはいつものような坂の案内板はなかったです。
ただ、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典に、
『「新撰東京名所図会」に、「妻恋坂は妻恋神社の前なる坂なり、大超坂ともいふ。本所霊山寺開基の地にて、開山大超和尚道徳高かりしを以て一にかく唱ふといふ」と記している。大超が開基した霊山寺が明暦の大火で類焼して浅草へ移転し、その跡に湯島天神町にあった妻恋稲荷社が移ってきて、以後、妻恋坂と呼ぶようになったのである。』
とありました。

妻恋坂(NO.170)5

最後は、坂の途中から以前にもとりあげた神田明神の裏参道がなにげに見えてたりしたので、ぱちりと一枚。

ということで、いちおう今回はこんなところですが、実は坂道自体はもうすこし続いているみたいで、このまま坂下のほうへ、道沿いに歩いていくと、途中から(地図で見ると)文京区から千代田区になり(これはこれで興味深いですね)、そこをさらに下っていくと、ちょっと大きめの通りにでて、そこのすぐそばの蔵前橋通り沿いにある交差点が“妻恋坂”という名になっており、おそらく、そのあたりまでが妻恋坂ということになるのかもしれませんが、今回は坂の途中までの分しか撮ってなかったので、また機会があれば、坂下あたりの風景も取り上げてみることにしますよ。

地図
文京区湯島3と千代田区外神田6(けっこう境界がややこしいです。。)