所在地:渋谷区猿楽町5
てんぐ坂と呼ぶそうです。
場所は以前に書いた代官山坂(NO.152)の坂上を通っている八幡通りを渋谷方面へと歩くと、山手線と交差する場所があるのですが、今回の天狗坂はその近くにあり、八幡通りから北西に下っている坂道です。(ちょっと説明しにくいのですが・・・。)

これは坂上からの風景です。
八幡通りからちょこっと歩くと天狗坂の坂上にやってきます。
なんとなく天狗という名前がついていたことから、ここに来る前はなにかふわふわとした浮遊感がどこかに漂う坂道だったらおもしろいのになあ、なんて思いながらきてみたわけですが、実際はすでに坂下まで見えているほど短く、抜け道といった感じの坂道のようでした。
ただ写真では坂道だけしかのせていないので、なんですが、周辺はおしゃれでこじんまりとした店も多く、なんだかこの道だけが、和のにおいみたいなものを他の場所よりただよわせているような気がしてしまいましたよ。
あと、写真でも見えていますが、坂上にはいつものような坂の碑ではないですが、坂の由来がかかれた案内標識があり、
『この坂を、天狗坂といいます。岩谷松平(号を天狗、嘉永二年〜大正九年1849〜1920)は鹿児島川内に生まれました。明治十年に上京し、間もなく銀座に、紙巻煙草岩谷天狗商会を設立し、その製品に金天狗、銀天狗などの名称をつけ、「国益の親玉」「驚く勿れ煙草税金三百万円」などの奇抜な宣伝文句で、明治の一世を風靡しました。
煙草の製造に家庭労働を導入するなど当時としては画期的、独創的な工夫をしました。
明治三八(1905)年煙草専売法が実施されると、この付近の約四万三千平方メートル(一万三千坪)の土地に、日本人の肉食による体質の向上を考えて、養豚業始めるなど、国家的な事業に貢献しました。晩年、岩谷天狗がこの地に住んだことから、この坂の名が生まれました。』
とありました。
なので、いうなればここも、前回の坂道話ででてきたビール坂(NO.155)と同じような流れで名付けられた坂なのかもしれません。
ちなみに、「たばこと塩の博物館」のHPに当時の岩谷商会(岩谷天狗商会)の宣伝ポスターなんかみれるみたいですよ。
(→天狗煙草)

そして、いっきに坂下までやってきました。
ここからみると坂上からの風景とは一変して、けっこうな勾配具合であることがわかりやすいんじゃないですかね。(よくみると、一階分くらいの高低差があるような・・・。)
どうりで、急な坂道によくあるドーナツマークのすべりどめがあるわけですな。
あと、坂上と坂下に石杭が見えていますが、坂上のほうだけひとつというのが妙に気になってしまいましたよ。
もしかしたら、以前は坂上のほうもペアであったのかもしれないなあとしょうもないことを考えてみたり。。
ただ、この石杭については妄想とは別に、実際いろいろと過去の道路補修のたびに迷惑をこうむっているみたいですけどね。。
(そのあたりのことは他の坂道サイトでも書かれているようですので、そちらを見てくださいね。)
地図
渋谷区猿楽町5
関連リンク:
→ 天狗坂(NO.156) その2 / 渋谷区猿楽町 - 東京坂道さんぽ
てんぐ坂と呼ぶそうです。
場所は以前に書いた代官山坂(NO.152)の坂上を通っている八幡通りを渋谷方面へと歩くと、山手線と交差する場所があるのですが、今回の天狗坂はその近くにあり、八幡通りから北西に下っている坂道です。(ちょっと説明しにくいのですが・・・。)
これは坂上からの風景です。
八幡通りからちょこっと歩くと天狗坂の坂上にやってきます。
なんとなく天狗という名前がついていたことから、ここに来る前はなにかふわふわとした浮遊感がどこかに漂う坂道だったらおもしろいのになあ、なんて思いながらきてみたわけですが、実際はすでに坂下まで見えているほど短く、抜け道といった感じの坂道のようでした。
ただ写真では坂道だけしかのせていないので、なんですが、周辺はおしゃれでこじんまりとした店も多く、なんだかこの道だけが、和のにおいみたいなものを他の場所よりただよわせているような気がしてしまいましたよ。
あと、写真でも見えていますが、坂上にはいつものような坂の碑ではないですが、坂の由来がかかれた案内標識があり、
『この坂を、天狗坂といいます。岩谷松平(号を天狗、嘉永二年〜大正九年1849〜1920)は鹿児島川内に生まれました。明治十年に上京し、間もなく銀座に、紙巻煙草岩谷天狗商会を設立し、その製品に金天狗、銀天狗などの名称をつけ、「国益の親玉」「驚く勿れ煙草税金三百万円」などの奇抜な宣伝文句で、明治の一世を風靡しました。
煙草の製造に家庭労働を導入するなど当時としては画期的、独創的な工夫をしました。
明治三八(1905)年煙草専売法が実施されると、この付近の約四万三千平方メートル(一万三千坪)の土地に、日本人の肉食による体質の向上を考えて、養豚業始めるなど、国家的な事業に貢献しました。晩年、岩谷天狗がこの地に住んだことから、この坂の名が生まれました。』
とありました。
なので、いうなればここも、前回の坂道話ででてきたビール坂(NO.155)と同じような流れで名付けられた坂なのかもしれません。
ちなみに、「たばこと塩の博物館」のHPに当時の岩谷商会(岩谷天狗商会)の宣伝ポスターなんかみれるみたいですよ。
(→天狗煙草)
そして、いっきに坂下までやってきました。
ここからみると坂上からの風景とは一変して、けっこうな勾配具合であることがわかりやすいんじゃないですかね。(よくみると、一階分くらいの高低差があるような・・・。)
どうりで、急な坂道によくあるドーナツマークのすべりどめがあるわけですな。
あと、坂上と坂下に石杭が見えていますが、坂上のほうだけひとつというのが妙に気になってしまいましたよ。
もしかしたら、以前は坂上のほうもペアであったのかもしれないなあとしょうもないことを考えてみたり。。
ただ、この石杭については妄想とは別に、実際いろいろと過去の道路補修のたびに迷惑をこうむっているみたいですけどね。。
(そのあたりのことは他の坂道サイトでも書かれているようですので、そちらを見てくださいね。)
地図
渋谷区猿楽町5
関連リンク:
→ 天狗坂(NO.156) その2 / 渋谷区猿楽町 - 東京坂道さんぽ
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