NO.124
坂名:南部坂
住所:東京都港区赤坂+六本木
なんぶ坂とよぶそうで、難歩(なんぽ)坂とも書くそうです。
場所はアークヒルズのそばにあり、ちょうど六本木通りをはさんで反対側の路地を一歩入ると、南部坂の坂下あたりになります。

写真1(坂下より)
ドーナツ型のすべり止めが見えることからも、けっこうな勾配具合が予測できましたが、見ためは道がカーブしているためかそれほどの感じはうけませんでした。(写真1)

写真2(坂の途中より)
すこし坂道をのぼり坂下のほうをみたものですが、坂下から見た印象とはちがいふつうのビルが建ちならんでいる感じでしたが、その裏手が六本木通りということもありそれらのビルのほうが数階背が高いようで、さらに奥には泉ガーデンタワーもみえて、ビルの段々畑みたいになっていて、なんだか変な風景でした。(写真2)

写真3(坂の途中より2)
今度は、坂上のほうを眺めてみたものですが、なにやら左側にかわった擁壁が見えていますが、下は石壁のようになっており、そのうえもなんだかかなり凝っている感じでした。(写真3)
あとで、地図を確認してみると、このうえには、アメリカ大使館宿舎の敷地のようでした。

写真4(坂上あたりより)
正確にはもうすこし上あたりが坂上みたいなのですが、このあたりからが坂全体も見渡せる感じで(しかもこの横でなにやら作業されている業者のかたがいたもので)、とりあえず、このあたりから見てみました。(写真4)
ここまでくると、坂下で感じたような勾配具合はありませんでした。
あと、道幅はかなり狭く、車一台通れるくらいでした。
それと、写真では信じられないくらいの割合で写っていますが、正面にアークヒルズのビルが見えていましたよ。
ちなみにここにはいつもの坂の碑があり(しかも4枚目の写真の立ち位置のすぐそばなのですが)、『江戸時代初期に南部家中屋敷があったためといい「忠臣蔵」で有名である。のち険しいため難歩坂とも書いた。』とありました。
ということで、この坂の碑にもあるように、あの忠臣蔵とも縁がある坂道のようで、講談や浪曲で有名な「南部坂雪の別れ」にもでてくるそうですよ。
”南部坂雪の別れ”といわれても、わかるかたにはわかるかもしれませんが、実は僕自身も時代劇ものにはそれほど詳しくないので、江戸東京坂道事典の一文をそのまま抜粋させていただくと、『元禄十五年十二月十四日夕刻、仇討を決意した大石内蔵助が、折からの雪のなかを南部坂上浅野候の屋敷に身を寄せていた亡君の奥方の瑤泉院を訪れて、心ひそかに最後の別れをつげたという。』とあり、これがだいたいのストーリーらしいです。
(それにして、ここ最近ハードな内容というか歴史の坂道が多いですね。。(汗))
地図:港区赤坂+六本木
関連リンク:
坂名:南部坂
住所:東京都港区赤坂+六本木
なんぶ坂とよぶそうで、難歩(なんぽ)坂とも書くそうです。
場所はアークヒルズのそばにあり、ちょうど六本木通りをはさんで反対側の路地を一歩入ると、南部坂の坂下あたりになります。
写真1(坂下より)
ドーナツ型のすべり止めが見えることからも、けっこうな勾配具合が予測できましたが、見ためは道がカーブしているためかそれほどの感じはうけませんでした。(写真1)
写真2(坂の途中より)
すこし坂道をのぼり坂下のほうをみたものですが、坂下から見た印象とはちがいふつうのビルが建ちならんでいる感じでしたが、その裏手が六本木通りということもありそれらのビルのほうが数階背が高いようで、さらに奥には泉ガーデンタワーもみえて、ビルの段々畑みたいになっていて、なんだか変な風景でした。(写真2)
写真3(坂の途中より2)
今度は、坂上のほうを眺めてみたものですが、なにやら左側にかわった擁壁が見えていますが、下は石壁のようになっており、そのうえもなんだかかなり凝っている感じでした。(写真3)
あとで、地図を確認してみると、このうえには、アメリカ大使館宿舎の敷地のようでした。
写真4(坂上あたりより)
正確にはもうすこし上あたりが坂上みたいなのですが、このあたりからが坂全体も見渡せる感じで(しかもこの横でなにやら作業されている業者のかたがいたもので)、とりあえず、このあたりから見てみました。(写真4)
ここまでくると、坂下で感じたような勾配具合はありませんでした。
あと、道幅はかなり狭く、車一台通れるくらいでした。
それと、写真では信じられないくらいの割合で写っていますが、正面にアークヒルズのビルが見えていましたよ。
ちなみにここにはいつもの坂の碑があり(しかも4枚目の写真の立ち位置のすぐそばなのですが)、『江戸時代初期に南部家中屋敷があったためといい「忠臣蔵」で有名である。のち険しいため難歩坂とも書いた。』とありました。
ということで、この坂の碑にもあるように、あの忠臣蔵とも縁がある坂道のようで、講談や浪曲で有名な「南部坂雪の別れ」にもでてくるそうですよ。
”南部坂雪の別れ”といわれても、わかるかたにはわかるかもしれませんが、実は僕自身も時代劇ものにはそれほど詳しくないので、江戸東京坂道事典の一文をそのまま抜粋させていただくと、『元禄十五年十二月十四日夕刻、仇討を決意した大石内蔵助が、折からの雪のなかを南部坂上浅野候の屋敷に身を寄せていた亡君の奥方の瑤泉院を訪れて、心ひそかに最後の別れをつげたという。』とあり、これがだいたいのストーリーらしいです。
(それにして、ここ最近ハードな内容というか歴史の坂道が多いですね。。(汗))
地図:港区赤坂+六本木
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