所在地:港区赤坂1
えのき坂とよぶそうです。
場所は、汐見坂 (NO.118) と一本道でつながっている坂道なのですが、汐見坂とは逆に西側へと下っている坂道です。

坂上あたり
坂上あたりの様子ですが、実は坂道をすこし下って、そこから坂上のほうを眺めたものですが、ご覧のとおり汐見坂 (NO.118) 方面というか坂上あたりは、この右側にアメリカ大使館があることもあり警備の警察官のかたがあまりにまじかにいたため、ここからの撮影となりました。
見た感じはあまり高低差はない(かなり平坦な)ように見えましたが、なにぶんこのような物々しい状況だったもので、落ち着いて観察するわけにもいかなかったのですが、写真でみえる感じでは勾配具合がそれなりにありそうにみえている気がしますがどうでしょ。

坂の途中より
今度は、一枚目の立ち位置とだいたい同じ場所からの坂下のほうの風景ですが、ここからみるかぎりは、ほとんど平坦なふつうの道という感じでした。
ただ、左の高層ビルが、この坂道の途中でつながっている新榎坂 (NO.120) のほうではそれなりに坂道になじんでいる感じがあったのですが、ここからみるとかなり浮いた存在になっているように思いました。
(しかし、写真ではたまたま人通りが多そうにみえますが、ほんとたまたまだったんですよ。この時間帯は。。)

坂下あたりより
どこまでが坂下なのかわからなかったので、とりあえずこのあたりから坂上のほうを見てみました。
ここからみると、坂上あたりのわずかばかりの勾配具合がわかりやすく見えていたかもです。
あと、右側にアメリカ大使館の建物も見えていたりします。
ちなみに、ここにはいつものような坂の碑はありませんでしたが、江戸東京坂道事典には『同名の坂が多いが、むかしは街道の道しるべとして榎が植えられたことが多かった。一里塚のわきには必ず榎があり、芝の二本榎などの名もその一里塚の名残りの地名だといわれている。』とありました。
(いらぬお世話かもしれませんが、 ”一里塚”を辞書で調べてみると「主要な街道に1里(約3.927キロ)ごとに築かれた塚。榎・松などが植えられ、旅人のための里程標となった。」だそうです。)
地図
港区赤坂1
えのき坂とよぶそうです。
場所は、汐見坂 (NO.118) と一本道でつながっている坂道なのですが、汐見坂とは逆に西側へと下っている坂道です。
坂上あたり
坂上あたりの様子ですが、実は坂道をすこし下って、そこから坂上のほうを眺めたものですが、ご覧のとおり汐見坂 (NO.118) 方面というか坂上あたりは、この右側にアメリカ大使館があることもあり警備の警察官のかたがあまりにまじかにいたため、ここからの撮影となりました。
見た感じはあまり高低差はない(かなり平坦な)ように見えましたが、なにぶんこのような物々しい状況だったもので、落ち着いて観察するわけにもいかなかったのですが、写真でみえる感じでは勾配具合がそれなりにありそうにみえている気がしますがどうでしょ。
坂の途中より
今度は、一枚目の立ち位置とだいたい同じ場所からの坂下のほうの風景ですが、ここからみるかぎりは、ほとんど平坦なふつうの道という感じでした。
ただ、左の高層ビルが、この坂道の途中でつながっている新榎坂 (NO.120) のほうではそれなりに坂道になじんでいる感じがあったのですが、ここからみるとかなり浮いた存在になっているように思いました。
(しかし、写真ではたまたま人通りが多そうにみえますが、ほんとたまたまだったんですよ。この時間帯は。。)
坂下あたりより
どこまでが坂下なのかわからなかったので、とりあえずこのあたりから坂上のほうを見てみました。
ここからみると、坂上あたりのわずかばかりの勾配具合がわかりやすく見えていたかもです。
あと、右側にアメリカ大使館の建物も見えていたりします。
ちなみに、ここにはいつものような坂の碑はありませんでしたが、江戸東京坂道事典には『同名の坂が多いが、むかしは街道の道しるべとして榎が植えられたことが多かった。一里塚のわきには必ず榎があり、芝の二本榎などの名もその一里塚の名残りの地名だといわれている。』とありました。
(いらぬお世話かもしれませんが、 ”一里塚”を辞書で調べてみると「主要な街道に1里(約3.927キロ)ごとに築かれた塚。榎・松などが植えられ、旅人のための里程標となった。」だそうです。)
地図
港区赤坂1