前回のニュースでとりあげたヤフーの「古地図で東京めぐり」サイトが期間限定なこともありせっかくなので、またまた古地図などをプリントスクリーンさせていただいて、今度は渋谷の宮益坂 (NO.1) あたりの話でも。
現代
宮益坂 (NO.1) といえば、地図でみてもわかるようにほんとに渋谷の駅前の目と鼻の先の場所にある坂道で、かつては、ここから富士山も見えたことから富士見坂ともよばれている坂道です。
でも、まあ実際に歩いていると坂道は坂道ですが、どちらかといえば食事処が多いので、僕はお腹がすいた時にふらりと行くことが多いですけどね。。
明治
以前に書いた宮益坂 (NO.1) の記事や現代の地図とくらべてみると、道の途中にあった御嶽神社という神社は、今もありますが妙祐寺なるお寺は、今はないみたいですね。
あと、これも前にとりあげた渋谷川(とある街の風景13にてありました)もちゃんとあるんですね。
江戸
そして、江戸時代。
地図では、宮益坂と富士見坂がわかれて書かれてますね。
昔はちょっと場所が違ったのかな?
また、明治の地図にもあった妙祐寺というお寺は、この時代からあったのですね・・。
じゃーなんで、今は妙祐寺はないのだろう?と思い、いろいろ検索してみると、なんと昭和20年のあの戦争の際の空爆に遭って焼失してしまい、世田谷区北烏山へ移転したそうですよ。
そして、渋谷川もこの時代からあったのですね〜。
いまでこそ、てきと〜につくった川みたいになってしまっていますが・・・。
そんなこんなで、ふと思ったのですが、「江戸名所図会」(宮益坂 (NO.1) の記事にも同じ文を載せたのですが・・)にこの坂のことが書いてあり、「富士見坂 渋谷宮益町より西に向ひて下る坂を云ふ。斜に芙蓉の峰に対、ふ故に名とす。相模街道の立場にして、茶店酒亭あり、麗の小川に架せる橋をも富士見橋と名づけたり。相州街道の中、坂の数四十八ありとなり、此富士見坂は其首なりといへり」と記されていることと、今回の古地図をみて、当時は坂下にきれいな渋谷川が流れていて、道の両側には休憩処がならび、遠景には富士山が見えているというなんとも気持ちのよい場所だったのかもしれませんね。
でもまあ、これはお城側から歩いてきた場合なのですけどね・・・。
現代
宮益坂 (NO.1) といえば、地図でみてもわかるようにほんとに渋谷の駅前の目と鼻の先の場所にある坂道で、かつては、ここから富士山も見えたことから富士見坂ともよばれている坂道です。
でも、まあ実際に歩いていると坂道は坂道ですが、どちらかといえば食事処が多いので、僕はお腹がすいた時にふらりと行くことが多いですけどね。。
明治
以前に書いた宮益坂 (NO.1) の記事や現代の地図とくらべてみると、道の途中にあった御嶽神社という神社は、今もありますが妙祐寺なるお寺は、今はないみたいですね。
あと、これも前にとりあげた渋谷川(とある街の風景13にてありました)もちゃんとあるんですね。
江戸
そして、江戸時代。
地図では、宮益坂と富士見坂がわかれて書かれてますね。
昔はちょっと場所が違ったのかな?
また、明治の地図にもあった妙祐寺というお寺は、この時代からあったのですね・・。
じゃーなんで、今は妙祐寺はないのだろう?と思い、いろいろ検索してみると、なんと昭和20年のあの戦争の際の空爆に遭って焼失してしまい、世田谷区北烏山へ移転したそうですよ。
そして、渋谷川もこの時代からあったのですね〜。
いまでこそ、てきと〜につくった川みたいになってしまっていますが・・・。
そんなこんなで、ふと思ったのですが、「江戸名所図会」(宮益坂 (NO.1) の記事にも同じ文を載せたのですが・・)にこの坂のことが書いてあり、「富士見坂 渋谷宮益町より西に向ひて下る坂を云ふ。斜に芙蓉の峰に対、ふ故に名とす。相模街道の立場にして、茶店酒亭あり、麗の小川に架せる橋をも富士見橋と名づけたり。相州街道の中、坂の数四十八ありとなり、此富士見坂は其首なりといへり」と記されていることと、今回の古地図をみて、当時は坂下にきれいな渋谷川が流れていて、道の両側には休憩処がならび、遠景には富士山が見えているというなんとも気持ちのよい場所だったのかもしれませんね。
でもまあ、これはお城側から歩いてきた場合なのですけどね・・・。
コメント一覧 (9)
そうですね。僕も今回はkincyanさんのいう感じでつい最近歩いた場所についてかつての風景におもいをはせてみましたよ。。(笑)
え〜!春の小川ってあの歌ですよね。。
それが渋谷川だったとは。けっこうびっくりですね。まあ上流といってもそれほど遠くないし渋谷川には変わりないですからね。
おもしろい情報ありがとうございます♪
どうもです。
なるほど、上記4区が活動範囲なのですね。そういえば文京区の坂なら前にすこしとりあげましたよ。
あと、たしかに池袋よりもうすこし東というか北東の場所のほうがかつては栄えていたというのは聞いたことありますよ。
ということで、今後ともよろしくお願いいたします。
さすがに、詳しいですね〜。言われてみれば渋谷駅の場所がすこし違いますね。どちらかといえば今の埼京線のホームに近いのですかね。。
あと僕もタモリ倶楽部みましたよ。こういう企画はおもしろいですよね。
私も、結構な地図好きなのですが、このサイトには
感動しました。自転車で都内を走り回った後、
あのサイトで江戸、明治の風景を思い浮かべるのも
また楽しいことです。
二度あせカキマシタ(笑)
とある街の風景13のコメントに飛んでシマッタ
渋谷川は唱歌”春の小川”のモデルに
なった川のやうですよ
以前それを聞いてビックリしました
てっきり多摩あたりの風景かと思ってましたので
↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E3%81%AE%E5%B0%8F%E5%B7%9D
でもこの歌二回も歌詞が変わっているんですね
二度吃驚(笑)
ありがとうございました<(_ _*)>
勝手にBlogPeopleに登録させていただきまして、
申し訳ありません^^;
大好きな坂道のことを書かれているのを、
楽しみに拝読しておりました。
古地図、楽しいですよね〜。
私は活動拠点が、豊島区、練馬区、文京区、新宿区辺りなのですが、
池袋なんてほとんどが“村”っ”ですよ(^^ゞポリポリ
駒込の方がはるかに都会です。
柳沢吉保の家もありますし、結構武家が住んでいます。
本当におもしろいですよね^^
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします(*- -)(*_ _)ペコリ
田中稲荷のところが、渋谷警察前の歩道橋脇の本屋さんの所ですから、微妙に渋谷駅の場所が今と違うんですね。
東横線も、この辺りにかつては駅があったようですから、昔はこちらが繁華街のようだったのでしょうか。
ちょうど、鎌倉街道の中道近くに駅を作った感じなんですね。
古地図は楽しいです。
タモリクラブでもやっていましたね。