所在地:港区西麻布3
ごみ坂とよぶそうです。
場所は、テレビ朝日通りにある中国大使館のすぐそばで、前にとりあげた富士見坂 (NO.7) のすこし南側にあります。

写真1(坂上より)
見てのとおりかなり小さな坂で、正面のフェンスが張ってあるところまでしかいけない坂でした。(写真1)
ただこの坂にもいつものような坂の碑がなかったこともあり、はじめは、あれ?ここかな?という感じでしたが、江戸東京坂道事典には、”西麻布三丁目五と六番の間を中国大使館前から西へくだる小坂で、中坂の北にならぶ。”とあったので、たぶんここだろうと思います。
また、同じくこの本では、この坂道の由来は坂下のほうがかつてゴミ捨て場に使われていたことだったからとも書いてあり、さらにこの坂辺に紺屋が一軒あったため”紺屋坂”という別名もあるということだそうですよ。

写真2(坂下より)
こうしてみると、道幅のせまい坂道という感じでした。(写真2)
あと、写真では、あまり見えていませんが、この正面の坂上に中国大使館があるのですが、この大使館の場所はもとはあの後藤新平の屋敷だったらしいですよ。
いやはや(汗)
そういうことを考えていると、かつてここで暮らしていたであろう人が計画した東京の都市計画が当時しっかりと実行されていれば、歩いていても楽しい東京になっていたかな〜?、それとも車にやさしいだけの街になっていたのかな?、それとも・・・。
まあ、なんともいえませんですが、そんな都市計画だけでふりまわされるような街にはなってほしくないと思いつつも、なんだかいろんなことをふと考えてしまいましたよ。。
地図
港区西麻布3
ごみ坂とよぶそうです。
場所は、テレビ朝日通りにある中国大使館のすぐそばで、前にとりあげた富士見坂 (NO.7) のすこし南側にあります。
写真1(坂上より)
見てのとおりかなり小さな坂で、正面のフェンスが張ってあるところまでしかいけない坂でした。(写真1)
ただこの坂にもいつものような坂の碑がなかったこともあり、はじめは、あれ?ここかな?という感じでしたが、江戸東京坂道事典には、”西麻布三丁目五と六番の間を中国大使館前から西へくだる小坂で、中坂の北にならぶ。”とあったので、たぶんここだろうと思います。
また、同じくこの本では、この坂道の由来は坂下のほうがかつてゴミ捨て場に使われていたことだったからとも書いてあり、さらにこの坂辺に紺屋が一軒あったため”紺屋坂”という別名もあるということだそうですよ。
写真2(坂下より)
こうしてみると、道幅のせまい坂道という感じでした。(写真2)
あと、写真では、あまり見えていませんが、この正面の坂上に中国大使館があるのですが、この大使館の場所はもとはあの後藤新平の屋敷だったらしいですよ。
いやはや(汗)
そういうことを考えていると、かつてここで暮らしていたであろう人が計画した東京の都市計画が当時しっかりと実行されていれば、歩いていても楽しい東京になっていたかな〜?、それとも車にやさしいだけの街になっていたのかな?、それとも・・・。
まあ、なんともいえませんですが、そんな都市計画だけでふりまわされるような街にはなってほしくないと思いつつも、なんだかいろんなことをふと考えてしまいましたよ。。
地図
港区西麻布3
コメント一覧 (3)
そうなんですよね。このあたりはなんだかんだといって、道が入り組んでいますよね。さすがにこのあたりを歩いていると江戸時代の地図も参考にしないといけないのかなあと思いつつも、文章だよりになってしまっていますよ。(汗)
あと、東京の街にも、違った流れで構想された場所があるというのは大事ですよね。。
私は以前に麻布七不思議と坂道を絡めて散歩をしましたが、本当に麻布界隈は道が入り組んでいますね。
ただ、江戸時代の地図と照らしあわすと変わらないと言うのが、ちょっと興奮しました(笑)
ちなみに、東京の一部しか分からないですが、世田谷の一部、目黒の一部、大田区の一部。かつては農村地域の所は耕地整理事業が農民よって行なわれて、整然とした町並みを作っているところが結構あります。
恐らく、大半は渋沢親子の田園都市構想に触発されたものだと思います。