NO.73
坂名:桜坂
住所:東京都港区元麻布2あたり
たぬき坂と、そのまま呼ぶそうです。
また別名として、まみ坂・旭坂・切通坂などの呼び方もあるそうです。
場所は、前回の一本松坂 (NO.72) の坂下から、西へとぬける道であり、大黒坂(NO.70) ・ 暗闇坂 (NO.69) へいく道とはちがう道のほうを閑静な住宅街をテクテクと歩くと今回の坂道の坂上になります。

坂上より(写真1)
坂上よりですが、けっこうな急勾配の坂道で、暗闇坂 (NO.69) での坂上と坂下の高低差とおなじくらい下っている坂道のようで、一本松坂 (NO.72) の坂下あたりから、この坂上あたりまでは平坦な道だったのに、このあたりにくるといきなり急坂になるという具合でしたよ。(写真1)
しかも車が一台通れるくらいの道なのに頻繁に車が通っていて写真を撮るのも一苦労という感じで、しかも正面には警備のおじさんらしき人もいるし・・。(笑)

麻布セントメアリー教会(写真2)
ただ今回行ったときは、ちょうど坂上のすぐちかくというか坂道の途中に麻布セントメアリー教会という教会(ここはウェディング施設のようなものではなくふつうの教会のようでしたよ)があり、そこで結婚式かなにかわかりませんが、催しものがあるらしく礼服をきた人がしょっちゅう歩いてきたり、タクシーに乗り付けてきているようでした。(写真2)

坂下より(写真3)
ここからみると、さらに坂道の勾配具合がわかりやすいのではないでしょうかね。(写真3)
そして、坂上の様子がまったくみえないのもなにか興味がそそられてしまいます。(はじめに歩いてきたののにもかかわらずですね。(笑))
しかも、道の両サイドにきれいに手入れされつつも昔からあるようなおおきめの木々が、坂下から見るとよりいっそう、生い茂っているように見え、さらに一体感のある道の舗装(ただ急坂なので、そういう場所にほどこされる舗装になっただけともとれるのですが・・)などがあいまってか、なかなか好印象な坂道でした。
そして、ここにも例のごとく坂の碑があり、
『人をばかすたぬきが出没したといわれる。旭坂ともいうのは東へのぼるためか。』
とありました。
また江戸東京坂道事典の一文に、
『古老の話では坂下の旧宮村町は、大正初年までススキが生い茂っており、狸坂を上がって行く右側に大榎がそびえて、その木の根の洞穴に狸の親子がすんでいたのを見かけたという。』
というおもしろいエピソードの話がありました。

坂下あたりから(写真4)
坂下あたりで、坂道とは反対の方向をふりかえると、六本木ヒルズのビル群がなにげに見えていました。(写真4)
なにか過去とのつながりのあるというか気分的にタイムトリップできる坂道を歩いたあとに、ふとみあげると、こんな感じでみえると、ほんと不思議な気分になりますね。
あと手前右手のベージュというか白っぽい色の建物もよくみるとなにかバランスがへんな感じですね。。
地図:港区元麻布2あたり
関連リンク:
この坂道も「タモリのTOKYO坂道美学入門」にて取り上げられていました。

新訂版 タモリのTOKYO坂道美学入門
by amazon
坂名:桜坂
住所:東京都港区元麻布2あたり
たぬき坂と、そのまま呼ぶそうです。
また別名として、まみ坂・旭坂・切通坂などの呼び方もあるそうです。
場所は、前回の一本松坂 (NO.72) の坂下から、西へとぬける道であり、大黒坂(NO.70) ・ 暗闇坂 (NO.69) へいく道とはちがう道のほうを閑静な住宅街をテクテクと歩くと今回の坂道の坂上になります。
坂上より(写真1)
坂上よりですが、けっこうな急勾配の坂道で、暗闇坂 (NO.69) での坂上と坂下の高低差とおなじくらい下っている坂道のようで、一本松坂 (NO.72) の坂下あたりから、この坂上あたりまでは平坦な道だったのに、このあたりにくるといきなり急坂になるという具合でしたよ。(写真1)
しかも車が一台通れるくらいの道なのに頻繁に車が通っていて写真を撮るのも一苦労という感じで、しかも正面には警備のおじさんらしき人もいるし・・。(笑)
麻布セントメアリー教会(写真2)
ただ今回行ったときは、ちょうど坂上のすぐちかくというか坂道の途中に麻布セントメアリー教会という教会(ここはウェディング施設のようなものではなくふつうの教会のようでしたよ)があり、そこで結婚式かなにかわかりませんが、催しものがあるらしく礼服をきた人がしょっちゅう歩いてきたり、タクシーに乗り付けてきているようでした。(写真2)
坂下より(写真3)
ここからみると、さらに坂道の勾配具合がわかりやすいのではないでしょうかね。(写真3)
そして、坂上の様子がまったくみえないのもなにか興味がそそられてしまいます。(はじめに歩いてきたののにもかかわらずですね。(笑))
しかも、道の両サイドにきれいに手入れされつつも昔からあるようなおおきめの木々が、坂下から見るとよりいっそう、生い茂っているように見え、さらに一体感のある道の舗装(ただ急坂なので、そういう場所にほどこされる舗装になっただけともとれるのですが・・)などがあいまってか、なかなか好印象な坂道でした。
そして、ここにも例のごとく坂の碑があり、
『人をばかすたぬきが出没したといわれる。旭坂ともいうのは東へのぼるためか。』
とありました。
また江戸東京坂道事典の一文に、
『古老の話では坂下の旧宮村町は、大正初年までススキが生い茂っており、狸坂を上がって行く右側に大榎がそびえて、その木の根の洞穴に狸の親子がすんでいたのを見かけたという。』
というおもしろいエピソードの話がありました。
坂下あたりから(写真4)
坂下あたりで、坂道とは反対の方向をふりかえると、六本木ヒルズのビル群がなにげに見えていました。(写真4)
なにか過去とのつながりのあるというか気分的にタイムトリップできる坂道を歩いたあとに、ふとみあげると、こんな感じでみえると、ほんと不思議な気分になりますね。
あと手前右手のベージュというか白っぽい色の建物もよくみるとなにかバランスがへんな感じですね。。
地図:港区元麻布2あたり
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この坂道も「タモリのTOKYO坂道美学入門」にて取り上げられていました。

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