所在地:港区元麻布3あたり
前回の三谷坂 (NO.68) あたりの六本木とうたう住所あたりにある坂道はいったんお休みして、そこからすこし場所を移動して、六本木ヒルズの南側あたりで、今回は、地下鉄大江戸線の麻布十番駅ちかくにある暗闇坂からです。
ということで、くらやみ坂と呼ぶそうです。
また、別名として闇坂とよんだり以前の麻布宮村(町)を通るため宮村坂ともいい、さらに近くにある一本松坂と分岐しているので相生坂とも呼ばれているそうです。
あと、この坂の坂下あたりには、知るひとぞ知る麻布十番温泉があったりします。

写真1(坂下より)
坂下あたりのようすです。(写真1)
ここからみてもわかるかもしれませんが、けっこうな急坂でした。
またまわりの住宅や建物の雰囲気も落ちついた感じで、すぐ近くに麻布十番温泉があるためか、ほっとするような雰囲気が坂道自体にあるようでした。
あとこの写真左側には地図でみるとわかりやすいのですが、オーストリア大使館があります。

写真2(麻布十番温泉)
はじめにすこしふれた麻布十番温泉です。(写真2)
坂下からすこし坂下をくだる方向にありました。
なんだか建物自体はふつうな感じなのですが、やっぱりすぐに目がいってしまいましたよ。

写真3(坂の途中より)
ここからの風景が、僕てきにはあ〜坂道だ♪という感じでした。(写真3)
適度にカーブして、さらに勾配もいい感じで、高い塀に囲まれた坂道。
そして、左側に見えている堀とその上にそびえたっているおおきな木がすごく印象的でした。
そうとう昔からある木のようですね。
しかも、この木からロウソクも作れる木だそうですよ。(写真を撮っている最中に、たぶん地元のかただとは思いますが、このあたりにくわしいかたと偶然お話をさせていただき、このことを知りましたよ。。)

写真4(坂の途中より)
今度は坂上を見るとこんな感じでした。(写真4)
右手にみえる高い塀とその上に多い茂る木々ともに、遠景にみえる高層マンションが印象的でした。
そして、ここにも例のごとく坂の碑があり
『樹木が暗いほどおい茂った坂であったという。以前の宮村(町)を通るため宮村坂ともいった。』
とありました。
また「江戸東京坂道事典」によると”終戦後しばらくはことに寂しい坂道で、追剥や痴漢が出没するために夜分はとても婦女子の通れる坂道ではなかったという”ことらしく、今の坂道の様子からは想像できないような坂道であったようです。

写真5(坂上より)
坂上よりですが、カーブの曲がり具合がきついためか、ここからは坂道全体を見渡せませんでしたが、今までの坂下からの様子と違って暗闇坂という名前を思い浮かばせてくれるようなすこし薄暗さを感じる雰囲気がありましたが、さすがに周りの住宅などは高級感ただようものばかりでした。(写真5)
ということで、暗闇坂はこんな感じですが、実は地図をみてみるとわかりやすいのですが、この5枚目の写真あたりから坂道がいくつもニョキニョキとつながっていて、(これらの坂はこれから取り上げますが)かなりおもしろい場所のようでしたよ。
地図
港区元麻布3あたり
前回の三谷坂 (NO.68) あたりの六本木とうたう住所あたりにある坂道はいったんお休みして、そこからすこし場所を移動して、六本木ヒルズの南側あたりで、今回は、地下鉄大江戸線の麻布十番駅ちかくにある暗闇坂からです。
ということで、くらやみ坂と呼ぶそうです。
また、別名として闇坂とよんだり以前の麻布宮村(町)を通るため宮村坂ともいい、さらに近くにある一本松坂と分岐しているので相生坂とも呼ばれているそうです。
あと、この坂の坂下あたりには、知るひとぞ知る麻布十番温泉があったりします。
写真1(坂下より)
坂下あたりのようすです。(写真1)
ここからみてもわかるかもしれませんが、けっこうな急坂でした。
またまわりの住宅や建物の雰囲気も落ちついた感じで、すぐ近くに麻布十番温泉があるためか、ほっとするような雰囲気が坂道自体にあるようでした。
あとこの写真左側には地図でみるとわかりやすいのですが、オーストリア大使館があります。
写真2(麻布十番温泉)
はじめにすこしふれた麻布十番温泉です。(写真2)
坂下からすこし坂下をくだる方向にありました。
なんだか建物自体はふつうな感じなのですが、やっぱりすぐに目がいってしまいましたよ。
写真3(坂の途中より)
ここからの風景が、僕てきにはあ〜坂道だ♪という感じでした。(写真3)
適度にカーブして、さらに勾配もいい感じで、高い塀に囲まれた坂道。
そして、左側に見えている堀とその上にそびえたっているおおきな木がすごく印象的でした。
そうとう昔からある木のようですね。
しかも、この木からロウソクも作れる木だそうですよ。(写真を撮っている最中に、たぶん地元のかただとは思いますが、このあたりにくわしいかたと偶然お話をさせていただき、このことを知りましたよ。。)
写真4(坂の途中より)
今度は坂上を見るとこんな感じでした。(写真4)
右手にみえる高い塀とその上に多い茂る木々ともに、遠景にみえる高層マンションが印象的でした。
そして、ここにも例のごとく坂の碑があり
『樹木が暗いほどおい茂った坂であったという。以前の宮村(町)を通るため宮村坂ともいった。』
とありました。
また「江戸東京坂道事典」によると”終戦後しばらくはことに寂しい坂道で、追剥や痴漢が出没するために夜分はとても婦女子の通れる坂道ではなかったという”ことらしく、今の坂道の様子からは想像できないような坂道であったようです。
写真5(坂上より)
坂上よりですが、カーブの曲がり具合がきついためか、ここからは坂道全体を見渡せませんでしたが、今までの坂下からの様子と違って暗闇坂という名前を思い浮かばせてくれるようなすこし薄暗さを感じる雰囲気がありましたが、さすがに周りの住宅などは高級感ただようものばかりでした。(写真5)
ということで、暗闇坂はこんな感じですが、実は地図をみてみるとわかりやすいのですが、この5枚目の写真あたりから坂道がいくつもニョキニョキとつながっていて、(これらの坂はこれから取り上げますが)かなりおもしろい場所のようでしたよ。
地図
港区元麻布3あたり
コメント一覧 (3)
意外とあるものなのですね。
それだけ、木が茂り、寂しげなところが多かったと言う事なんでしょうかね。
面白いです。
くらやみ坂みつけられましたか〜。えーとですね。だいぶ前の坂道話でちらりと書いてみたのですが、僕の調べによると暗黒坂と名のつく坂。(たぶん暗黒坂=くらやみ坂だと思いますよ。)が都内には14坂もあるらしいですよ。。
なので、青物横丁駅近くもそのうちのひとつかもしれませんし、なぜか別名がいくつかある坂道もあるようなので、僕の調べた数に入っていないものかもしれませんが、とにかく都内に”くらやみ坂”はたくさんあるみたいですね。
恐らく、暗かったんでしょうね(笑)
きっと、まだ暗闇坂は沢山あるように感じます。