かなりインパクトなタイトルにしてみました。
ということで、昨日もすこし話したあの阪神淡路大震災から、11年が経ちました。
そんなに感傷的にならなくてもいいのかもしれませんが・・。(汗)
いまの時間帯は、テレビをかけながら書いてますが、テレビの一方的な情報にながされそうですが、やはり書いてみたいと思います。
せっかくこのブログというものがあるので、当時の写真などを公開してみたいと思います。
あまり気分のよくない写真や話もあるので、ここからはみたいかたのみ見るようお願いします。
ということで、昨日もすこし話したあの阪神淡路大震災から、11年が経ちました。
そんなに感傷的にならなくてもいいのかもしれませんが・・。(汗)
いまの時間帯は、テレビをかけながら書いてますが、テレビの一方的な情報にながされそうですが、やはり書いてみたいと思います。
せっかくこのブログというものがあるので、当時の写真などを公開してみたいと思います。
あまり気分のよくない写真や話もあるので、ここからはみたいかたのみ見るようお願いします。
もうかれこれ11年前のものなので、あれですがこの写真は当時、親が撮ったものです。普通の写真をスキャンしています。
やっぱり古くて屋根が瓦の家の被害が多かったですね。屋根が重たいのとあとは構造てきに・・かも。
でも建物が壊れるということは、それで亡くなってしまう人もでてくるわけで、そのことを忘れれがちかもしれません。そして、そのために怪我などした人がいれば、手当てもしてあげなければなりません。
けっこう、シュールです。(汗)
そのあたりの心の準備みたいなことも重要だったりします。

びっくりするかもしれませんが、写真の奥にある教会があるのですが、ここは亡くなったかたの安置所になっていました。
当時は恐くて前とおるだけでしたが・・・。
でも当時を振りかえってみて、すこし救いだったなあと思えたのは写真でもわかりますが、壊れた建物の奥に六甲山がみえたことですかね。
これがなかったらほんと気持ち的にどうなっていたことやら。(汗)
ということで、かなり過激なことも書いてしまいましたが、びっくりしたかたは、すいません。
でも、これにこりずによろしくです。
あとこれらの写真を無断で使うのは勘弁してくださいね。
ついでに、こういうことをいえる場所をあたえてくれた、このブログつくってくれたかたがたもにも感謝。
やっぱり古くて屋根が瓦の家の被害が多かったですね。屋根が重たいのとあとは構造てきに・・かも。
でも建物が壊れるということは、それで亡くなってしまう人もでてくるわけで、そのことを忘れれがちかもしれません。そして、そのために怪我などした人がいれば、手当てもしてあげなければなりません。
けっこう、シュールです。(汗)
そのあたりの心の準備みたいなことも重要だったりします。

びっくりするかもしれませんが、写真の奥にある教会があるのですが、ここは亡くなったかたの安置所になっていました。
当時は恐くて前とおるだけでしたが・・・。
でも当時を振りかえってみて、すこし救いだったなあと思えたのは写真でもわかりますが、壊れた建物の奥に六甲山がみえたことですかね。
これがなかったらほんと気持ち的にどうなっていたことやら。(汗)
ということで、かなり過激なことも書いてしまいましたが、びっくりしたかたは、すいません。
でも、これにこりずによろしくです。
あとこれらの写真を無断で使うのは勘弁してくださいね。
ついでに、こういうことをいえる場所をあたえてくれた、このブログつくってくれたかたがたもにも感謝。
コメント一覧 (4)
たしかに、当時は、ボランティアのかたもたくさんこられていました。
ほんと、その当時は、感謝でいっぱいでした。(涙)毛布なんかや食料もいただきほんとすごく感激したのを覚えています。
ちなみに、当時いただいた毛布のタグには、”愛知県”て書いてありましたよ。(笑)
ほんとありがとうございます。ここで書いたことがすこしでも、役にたってほしいです。
(それにして、リンクが、ドラクエとは、ちょっとびっくりしました。(笑)でも、なぜだか中学、高校時代のことをすこし、 思い出してしまいましたよ。)
建物は驚くべき速さで復興しましたが、被害に遭われた方々の悲しみを癒やすことは、そう簡単なことではないかもしれません…
この震災を契機に「ボランティア」という行動が一般の人びとにも広まったと記憶しています。この国も捨てたもんじゃないと、再認識したことを思い出します。