富士見坂15
横見坂/ 文京区湯島2丁目9と10の間
御茶ノ水駅を北へしばらく歩き、さらに本郷通りをすこし北上して、湯島一丁目交差点から蔵前通りへ、清水坂下の1本手前から上がる坂です。

写真1(坂上より)
ここにも坂下に坂の碑があり、
『横見坂 「御府内備考」(ごふないびこう)に、「右坂は町内より湯島三組町え上がり侯坂にて、当町並本郷新町家持に御座候・・・里浴に横根坂と相唱申侯」とある。坂下の蔵前通りの新妻恋坂の一帯は、かって樹木谷といわれ、樹木が茂っていた。この谷から湯島台にあがるこの坂の左手に富士山が眺められた。町の古老は、西横に富士山が良く見えて、この坂を登るとき、富士を横見するところから、誰いうとなく横見坂と名づけられたといっている。坂の西側一帯は、旧湯島新花町である。ここに明治30年頃、島崎藤村が住み、ここから信州小諸義塾の講師として移っていった。その作品「春」の中に、「湯島の家は俗に大根畠と称されるところに在った。・・・・大根畠は麹の香のする町で」とある。ローム層の台地は、麹室には最適で「文政書上」には、百数十軒の麹屋が数えられている。』
とあります。
現在は、静かな問屋街といった感じで、かって富士山が見えた方向には、やはりビルが建ちならびその面影はありません。

写真2(坂の途中より)

写真3(坂下より)
(データ:傾斜7°、道幅8.8m)
地図
文京区湯島2
横見坂/ 文京区湯島2丁目9と10の間
御茶ノ水駅を北へしばらく歩き、さらに本郷通りをすこし北上して、湯島一丁目交差点から蔵前通りへ、清水坂下の1本手前から上がる坂です。

写真1(坂上より)
ここにも坂下に坂の碑があり、
『横見坂 「御府内備考」(ごふないびこう)に、「右坂は町内より湯島三組町え上がり侯坂にて、当町並本郷新町家持に御座候・・・里浴に横根坂と相唱申侯」とある。坂下の蔵前通りの新妻恋坂の一帯は、かって樹木谷といわれ、樹木が茂っていた。この谷から湯島台にあがるこの坂の左手に富士山が眺められた。町の古老は、西横に富士山が良く見えて、この坂を登るとき、富士を横見するところから、誰いうとなく横見坂と名づけられたといっている。坂の西側一帯は、旧湯島新花町である。ここに明治30年頃、島崎藤村が住み、ここから信州小諸義塾の講師として移っていった。その作品「春」の中に、「湯島の家は俗に大根畠と称されるところに在った。・・・・大根畠は麹の香のする町で」とある。ローム層の台地は、麹室には最適で「文政書上」には、百数十軒の麹屋が数えられている。』
とあります。
現在は、静かな問屋街といった感じで、かって富士山が見えた方向には、やはりビルが建ちならびその面影はありません。

写真2(坂の途中より)

写真3(坂下より)
(データ:傾斜7°、道幅8.8m)
地図
文京区湯島2
コメント一覧 (1)