富士見坂1
宮益坂 / 渋谷区渋谷1丁目と2丁目の間
渋谷駅北東、明治通り側のビックカメラのある宮益坂下の交差点から坂を東に上がる場所です。坂上までの約300m。
坂下の坂の碑には「「かって、富士見坂とも呼ばれたこの坂一帯は、古くから矢倉沢往還(大山道中)として江戸の町と郊外農村との接続点であったので、ささやかな商人町を形成していました。ここが渋谷宮益町と称されていたので、宮益坂と呼ばれるようになりました。」」と書かれています。
また「江戸名所図会」には「富士見坂 渋谷宮益町より西に向ひて下る坂を云ふ。斜に芙蓉の峰に対、ふ故に名とす。相模街道の立場にして、茶店酒亭あり、麗の小川に架せる橋をも富士見橋と名づけたり。相州街道の中、坂の数四十八ありとなり、此富士見坂は其首なりといへり」と記しています。
この坂の碑にも書かれてある通り、前称が富士見坂であり、今は渋谷駅方面から青山学院前まで上がる有名な坂です。かっては坂上から富士山が見えたであろうが、今は見えずビルが林立し、かって富士山がみえた坂下方向には渋谷109が見えます。
写真1(坂下より)
写真2坂の途中の神社(宮益御嶽神社))
写真3
写真4( 神社より)
写真5
べにや工藝ビル 設計者:渡辺明 打ち放しとパンチングメタルが印象深い良い建物です。用途はギャラリーです。
写真6(坂上より)
(データ:傾斜2.5°、道幅21m)
地図:東京都渋谷区渋谷1
関連リンク:
→ 宮益坂 【NO.1】その2 /渋谷区渋谷1丁目と2丁目の間
宮益坂 / 渋谷区渋谷1丁目と2丁目の間
渋谷駅北東、明治通り側のビックカメラのある宮益坂下の交差点から坂を東に上がる場所です。坂上までの約300m。
坂下の坂の碑には「「かって、富士見坂とも呼ばれたこの坂一帯は、古くから矢倉沢往還(大山道中)として江戸の町と郊外農村との接続点であったので、ささやかな商人町を形成していました。ここが渋谷宮益町と称されていたので、宮益坂と呼ばれるようになりました。」」と書かれています。
また「江戸名所図会」には「富士見坂 渋谷宮益町より西に向ひて下る坂を云ふ。斜に芙蓉の峰に対、ふ故に名とす。相模街道の立場にして、茶店酒亭あり、麗の小川に架せる橋をも富士見橋と名づけたり。相州街道の中、坂の数四十八ありとなり、此富士見坂は其首なりといへり」と記しています。
この坂の碑にも書かれてある通り、前称が富士見坂であり、今は渋谷駅方面から青山学院前まで上がる有名な坂です。かっては坂上から富士山が見えたであろうが、今は見えずビルが林立し、かって富士山がみえた坂下方向には渋谷109が見えます。
写真1(坂下より)
写真2坂の途中の神社(宮益御嶽神社))
写真3
写真4( 神社より)
写真5
べにや工藝ビル 設計者:渡辺明 打ち放しとパンチングメタルが印象深い良い建物です。用途はギャラリーです。
写真6(坂上より)
(データ:傾斜2.5°、道幅21m)
地図:東京都渋谷区渋谷1
関連リンク:
→ 宮益坂 【NO.1】その2 /渋谷区渋谷1丁目と2丁目の間
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