かむろ坂と呼ぶそうです。
場所は、坂上あたりに新宿区立富久さくら公園が隣接しており、東京医大通りに沿って南東に下っている坂道です。

禿坂(NO.353)1
写真1

まずは坂下あたりの様子など。(写真1)
このあたりは坂道と言えるのかなと思えるほどまだ傾斜はありませんでした。

坂名については、写真1でも見えている坂の碑に記載があり、そのまま抜粋するとですね「坂名の由来はさだかではないが、近吾堂版の『江戸切絵図』(「大久保戸山高田辺之図」)には『里俗カムロ坂』とあり、江戸時代後期には「かむろざか」と呼ばれていたことがうかがえる。」とありました。
『里俗カムロ坂』の里俗とは「地方の風俗」や「土地のならわし」という意味とのことなのですが、それがカムロ坂とくっつくとどういう意味になるのかはまた調べてみないとわからない感じですが、要は江戸切絵図(地図)に記載があったからということなんですかね。

ちなみに、この禿坂は、別名で蜘切(くもきり)坂とも呼ばれていたとも言われており、「江戸東京坂道事典」によれば、自証院坂(NO.352)でもでてきた自証院の敷地がこのあたりまで続いていたころに、源頼光の家臣で四天王の一人渡辺綱が、この坂道で古蜘(土蜘蛛)を退治したということから蜘切坂と呼ばれるようになったという説もあるそうです。

禿坂(NO.353)2
写真2

次は中腹あたりまできて、坂上方向を見てみたものです。(写真2)
このあたりもかなり平坦でしたね。

しかもこのあたりは、左側に高層ビルが建っていて、足元には広々とした広場が設けられていたため、都心とは思えない独特な広さ感覚の坂道空間になっていましたね。

禿坂(NO.353)3
写真3

いちおう写真2でも言及した高層ビルを見上げてみました。(写真3)
ローレルコート新宿タワーというビルで、かなりの高さでしたね。

禿坂(NO.353)4
写真4

最後は坂上あたりからの風景など。(写真4)
ここまでくると高低差感も感じることができました。
あとはやっぱり右側のビル敷地と古い坂道の関係が興味深い風景を生み出しているかなあと思ってみたり。

ということで、今回はこんな感じです。

地図
新宿区富久町