日にちがだいぶ過ぎてしまいましたが、トラベルjpの記事にて『立川空襲の記憶を今に伝える坂道 立川市の山中坂と界隈坂道巡り』と題して、立川市の3つの坂道を取り上げてみましたので、よかったらどうぞ。

今回もブログ初登場の坂道ばかりです。
立川空襲の話もしているのでブログ的にはタイムリーではないですけど、地形が引き起こしたともいえる悲劇に中央線によって分断されてしまった坂道や眺望話など、現地を歩きながら過去の風景を思い起こしつつ歩くといろんな意味でゲニウス・ロキ(地霊)的なものが残っている感慨深い場所でもありましたね。

ではいつものおまけ写真でも。


山中坂(NO.346)1
写真1

トラベルjpの記事では書いていなかったのですが、坂下あたりの地蔵尊のそばには、坂名が書かれた手作りの看板がありました。
現地には、よくある自治体が設置したような看板がなく、写真1のような案内板があるのみでした。
でもこういう看板もいいですよね。


山中坂(NO.346)2
写真2

同じく山中坂で、写真2は坂上あたりから富士山方向を眺めてみたものです。
現地でも見えるかなあと地図と照らし合わせながら調べてみたんですけど、もしこの日のように曇りでなく晴れの日だったとしても、手前の建物があるので厳しいかなという印象でしたかね。
ただ昔のなにも建物がない時期なら見えそうな感じでしたね。


山中坂(NO.346)3-芝崎 普済寺
江戸名所図会「芝崎 普済寺」

富士山ネタがでたということで、トラベルjpの記事の「馬場坂の痕跡と眺望」の項で取り上げた江戸名所図会の「芝崎 普済寺」(長谷川雪旦・画)も紹介しておきますよ。
この図では左上に富士山が描かれていてその下に多摩川が流れていて、今の普済寺から富士山を眺める構図とまったく同じように描かれていますね。
実際はここまで大きく富士山はみえないと思いますけど、この地域のかつての風景体験を考える上ではなかなか興味深い絵図かもですね。


ということで今回はこんな感じです。