今年もこの日がやってきました。

例年どおり、今年こそ地元に帰省して震災遺構の旅(散歩?現地めぐり?)ができればと思っていたのですが、結局、今年も年末年始はずっと東京にいました。
年末あたりはまだ今のようにコロナの感染者もそれほどではなかったので、実は帰省しようか検討したんですが、こういう時期にわざわざ混んだ電車にあえて乗ることも考えものだなと思ったことや実家でも感染対策やらなにやらで落ち着かないだろうしうろうろできなさそうなこともあり帰省延期となりました。
あとは、実家の状況も気になるところではありますが、親にはサブ機としてスマホ(格安simで契約した型の古いiPhoneです)を持ってもらっていて、日頃から写真なり短文なりでやりとりしていて、家の近況もわかっていたこともありますしね。

そんなわけで、今年も記事のためにあらたに訪れた場所はないのですが、2年前に記事にはしないつもりで思い出も兼ねて訪れて撮った写真も実は震災遺構的な場所のものだったことをふと思い出したので、今回はそのことについて話をしてみたいと思います。

1.17。今年もコロナ禍の中の27年。1
写真1

かつて阪神芦屋駅の北東部に「本町通り商店街」という南北につらなるアーケード商店街があったんです。
写真1はそこの現在の様子を撮ってみたものです。
ご覧のとおり、いまは商店街はなく道幅の広いふつうの道路です。
ただ昔はもうすこし幅が狭かった記憶がありますけどね。

1.17。今年もコロナ禍の中の27年。2-本通商店街
画像1(芦屋市のホームページより)

コロナ禍でなければ現地の図書館でしっかり調べてみたかったのですが、仕方ないのでなにかないかなと調べてみると、芦屋市のホームページに「本町通り商店街」のかつての様子を撮影している記録写真が掲載されていました。

掲載されていた写真は昭和47年のものですが、27年前まではだいたい同じ雰囲気というか景色で現地に存在していたことは記憶に残っています。
最近は、芦屋というと・・・という具合にいろんなうわさを聞きますけど、すくなくとも27年前まではこんな懐かしい雰囲気の商店街が市内にあったんです。

そして、もうおわかりの方もいると思いますけど、この「本町通り商店街」はあの1.17の日に地震で大方が潰れてしまいこの景色や雰囲気もなくなってしまいました。

1.17。今年もコロナ禍の中の27年。3
画像2(芦屋市のホームページより)

同じく、芦屋市のホームページに震災直後の「本町通り商店街」の様子を撮影している写真も掲載されていました。

これだけ潰れてしまったら、やはり再生は難しかったでしょうね。

1.17。今年もコロナ禍の中の27年。4
写真2

こちらは、「本町通り商店街」から東へひとつ街区移動した場所の通りの風景です。(写真2)
今は三八通りと呼ばれています。
実はここにも「三八通商店街」という南北につらなるアーケード商店街があったんです。

今は見てのとおりここがかつての商店街だったことはわからない雰囲気ですが。

1.17。今年もコロナ禍の中の27年。5-三八通商店街
画像3(芦屋市のホームページより)

かつての「三八通商店街」を撮影した写真も芦屋市のホームページに掲載されていました。
僕の記憶からも、「三八通商店街」のほうが「本町通り商店街」よりも写真のように人通りが多く、地域に密着した個人商店が多くあった記憶がありますね。

そしてこの「三八通商店街」もあの地震で大きな被害を受けてなくなってしまい、今のような風景になっていったというわけです。

1.17。今年もコロナ禍の中の27年。6
写真3

またこの地には2つの商店街に加えて南北に長い「本町通り商店街」と「三八通商店街」を結ぶ形で東西に「甲陽市場」という八百屋に代表されるような食品を扱う個人商店が立ち並んだ路地レベルの商店街もありました。

そして「甲陽市場」も地震で大きな被害を受けてなくなってしまいました。
写真3は、かつて「甲陽市場」があった場所の道路風景です。
今は市場もなくなり遠くに教会が見えているのはなんともいえないですが。

1.17。今年もコロナ禍の中の27年。7-甲陽市場
画像4

かつての「甲陽市場」を撮影している写真も芦屋市のホームページにありました。
僕の記憶では写真3とだいたい同じ場所と方向を撮っているものだと思います。

ちなみに写真では大勢の買い物客がいますけど、僕の覚えている感じも同じで、特に買い物時は人が多くいて、近くに今はなくなったダイエーもあり、「甲陽市場」との相乗効果はなかなかのものだったと記憶しています。

とにかく今も残っていれば、場所柄ある程度小綺麗な雰囲気に改装くらいはされているかもしれないですが、それでもかなり異色の場所になっていたかもしれないですね。

ということで、昨年に引き続きコロナの影響もあり新たな場所に訪れることはできませんでしたが、今年は2年前に撮った写真を見ながらゲニウス・ロキ(地霊)的なものを探す気分で書いてみました。
来年こそは現地を歩けることを祈りつつ、今後も震災遺構の旅(散歩?)は続けていきたいと思っていますのでよろしくお願いします。

地図
芦屋市大桝町

参考にしたホームページ:
芦屋市/本通商店街(昭和47年)
芦屋市/三八通商店街(昭和35年)
芦屋市/本通り商店街甲陽市場西口付近より