先月ブラタモリで東京駅が特集されていましたね。
番組見ながら、ふとそういえば1年とすこし前になりますが、東京駅構内にある丸の内坂を歩いて写真も撮っていたことを思い出し、こういう時期でもありますので、前のものになりますが、丸の内坂について今回は取り上げてみたいと思います。

まず「丸の内坂」の場所なんですが、最初にもすこし触れましたがJR東京駅の構内にあります。
要は改札内にあるので入場券なりで入るか電車に乗るついででないと見られない坂道ですね。


丸の内坂(NO.335)1
写真1

まずは坂下あたりからの景色でも。(写真1)
まさに地下通路といった感じですが、ここが丸の内坂です。
見た目もいちおう手前から奥に向かって上っているとおり坂道になっていて、左側には金属製の坂道の碑もみえていますよね。


丸の内坂(NO.335)2
写真2

こちらは坂道の中腹あたりから坂下方向を眺めてみたものです。(写真2)
まさに地下通路そのものですね。

あと現地を歩いた時には気がつかなかったんですが、写真を拡大して確認してみると、右側の壁に広告パネルが2つ見えていますけど、実は坂下から2つめの広告パネルの左側に丸の内坂の坂道の由来が書かれた案内板があったのですよ。

検索してみたら、現地の写真をあげてくれている方も数人いてその写真を参考にしてみるとですね、そこには、
『昭和55年に総武地下駅で総武線・横須賀線の直通運転が開始された時に、丸の内と八重洲を結ぶこの通路が造られました。
通路にあるこの40mの長いスロープを「TOKYO STATION CITY 〜 東京駅が街になる」というコンセプトに合わせ、グランスタ新エリア開業を機に「丸の内坂」と命名しました。』
と書かれてありました。

なぜ八重洲坂ではなく、丸の内坂なのかは気になるところですが、そこのところスルーするとして、やはりここにかつてあった坂道とかではなく、あたらしくつくられた通路に新たに坂名がつけられたということみたいですね。

ちなみに、写真2の左側のシャッターが見えている奥のあたりが「東京駅グランスタ 丸の内坂エリア」といって土産ものなんかが売っている駅ナカショップがならんでいて、このエリアができたのは2012年らしいので、坂道名もそれにあわせて2012年につけられたと考えてよさそうですね。


丸の内坂(NO.335)3
写真3

こちらは坂上あたりからのものです。(写真3)
こうしてみるとなにげに高低差ありますね。

あと写真3の右側には「丸の内坂上」と書かれた案内表示もあり、ここが丸の内坂の坂上ということがわかりやすく表示されていました。


丸の内坂(NO.335)4
写真4

坂上あたりにあった構内の案内図でも。(写真4)
これで坂道の場所もだいたいわかるんじゃないですかね。
図では、「B1F現在地」と書かれているところが、丸の内坂の坂上あたりということになりますね。

要は、この坂道は東京駅改札内のB1Fレベルにあって、新幹線を使ったことある人ならわかるかもしれないですけど、新幹線乗り場のそばにあるエスカレーターなり階段でひとつ下に行くとお土産物や弁当などを扱うお店がずらりと並んでいるフロア(それを総称して「グランスタ」と呼んでいるみたいです)があると思いますけど、そのフロアと同じレベルにあるんですよね。

あとは、この丸の内坂の高低差は単なる丸の内側と八重洲側との高低差によるものなのか?
それとも、坂道の地下もしくは上部になにか配管なりトンネルがあるからなのか?
(なんとなくブラタモリ的に。笑)
そのあたりのことは、詳しく調べていないのでわかりませんけど、案内図にある丸の内坂の北側にある(たしかこちらは改札外だった)東西をつないでいる「地下北自由通路」のほうも階段があって八重洲側が高くて上る形だったと思うので、丸の内側と八重洲側との高低差による可能性高いと思います。

そういう意味では、丸の内坂が2012年にできたということは、丸の内と八重洲の地下街は一緒に作られたわけではないということも、この坂道を歩くことですこし感じることができるかもしれないですね。

そして、こういうつくりを体験してしまうと、この丸の内坂を含む駅ナカを計画した人は坂道好きだったのかなあなんてことも妄想してしまいます。



東京駅百年の軌跡

最後は、おまけがてらです。
記事を書いているときに東京駅公式のyoutube動画を発見したので、リンクしておきますよ。
丸の内坂のことはでてきませんが、東京駅の成り立ちや歴史などを紹介していて、建築史家の藤森照信さんも登場されていて、建築好きにも楽しい映像かもです。
それに東京駅の駅舎復元計画がなかったら、丸の内坂も生まれなかったかもしれないですしね。

ということで、今回はこんな感じです。


地図
千代田区丸の内1