今回は、たびねすで記事を書いていて、いろいろ追記したい事柄がでてきたこともあり、乃木坂 (NO.132)の続編でも書いてみたいと思います。

乃木坂今昔1
写真1

まずはこちらですね。(写真1)
坂の途中で、乃木坂トンネルにもぐる道と左に曲がり新しい部分の乃木坂に向かうところの写真ですね。

トンネルの上の部分は乃木坂陸橋とも呼ばれていて、昭和49年3月に完成したとのことです。
昭和49年?あれ?けっこう最近という感じですよね。

乃木坂今昔2
写真2

そこでこれなのですよ。(写真2)
たびねすの記事では、こういう昔の写真やら浮世絵を説明に使うことがNGなので、載せれなかったのですが、こんな風なかつての乃木坂の写真が、「江戸の坂 東京の坂」という本の中にあり、ちょっと拝借。
おそらく写真2は、写真1と同じ方向で、坂の途中から坂上方向を見てみたものと推測されます。
要はトンネルできる前の乃木坂ですね。
時期的には、「江戸の坂 東京の坂」の巻末に、これらの写真は昭和35年から42年にかけて著者が撮影したものと書かれていますので、だいたいそれくらいの時期のものだと思われます。

また今の乃木坂はかつて、幽霊坂という名前だったことはたびねすの記事でも書きましたが、「江戸の坂 東京の坂」の説明によると、実はそれ以前、行合坂やら膝折坂とも呼ばれていたそうですよ。
なので、本の説明部分を抜粋させてもらうとですね、
『『江戸大名町案内』という写本には、「麻布竜土、ひざ折坂あり」と記してある。嘉永七年正月の江戸切絵図『赤坂今井辺図』(近吾堂版)には、竜土の行合坂の上、突き当たりに「八幡社」とある。これが竜土八幡、青山八幡、馬八幡、駒留八幡などと呼ばれた八幡社であった。したがって、ここの行合坂が、そのときの膝折坂なのである。この坂は、のちに坂下に妙福寺という寺と墓地があったので、幽霊坂とも呼ばれた。』
とありました。

ということは、「幽霊坂」の前の名前が「行合坂」で、別名で「膝折坂」とも呼ばれていたという感じなのですかね。

あとは、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」という本には、『『新撰東京名所図会』は「市兵衛町二丁目より箪笥町との間を下る坂あり、なだれ坂と称す。』なんてことも書かれていて、新撰東京名所図会は、明治時代の書物なので、これを加味すると、行合坂→幽霊坂→なだれ坂→乃木坂、という具合の名前変更の歴史があるのかもしれないですね。(汗)

修正版20230821
古地図1(goo地図の古地図のサイトから引用させていただきました。)

せっかくなので、古地図も見てみましょうかね。(古地図1)
画像の部分で、赤く塗った部分が乃木坂で、今も昔も変わらない位置にあります。
で、青でうすく塗った部分が、現在の外苑東通りということになりますかね。
古地図を見ると乃木坂の西側つきあたりに「八幡宮」というのがありますよね。これがまさに『竜土の行合坂の上、突き当たりに「八幡社」とある。』の部分なのではないですかね。

修正版20230821b
古地図2(goo地図の古地図のサイトから引用させていただきました。)

さっきのは「東都青山絵図」のほうだったのですが、こちらは「赤坂全図」のほうですね。(古地図2)
地図でいえばちょうど端っこのかぶっているエリアに乃木坂はあるみたいで、こちらの地図はどちらかといえば、乃木坂の東側エリアが詳しく記録されているもののようですね。
そして、これをみると赤くぬった部分の乃木坂のちゅうど真ん中あたりに「妙福寺」と書いてあります。なので、これが『この坂は、のちに坂下に妙福寺という寺と墓地があったので、幽霊坂とも呼ばれた。』の部分で、幽霊坂と命名される元となったお寺もちゃんと地図に残っていて、実際にあったということですよね。

乃木坂今昔5
地図

そんなわけで、現代の地図(Googleさんの地図を拝借)に江戸時代の乃木坂の位置を描いてみるとこんな具合になりそうでした。
ちなみに、ちょうど今のギャラリー間のあるTOTO乃木坂ビルのあるあたりを緑で囲ってみました。古地図1を振り返ってみると、お寺があった位置とかぶりそうですね。
まあだからなんなんだという話でもありますけど、僕としてはギャラリー間に訪れるたびにいつも、ビルの前の道がへんなつくりだなあと思っていたのですが、こうして古地図で振り返ってみると、かつての古道は紫の色で塗った部分であったわけで、そういう意味では、このローターリーみたいになっていた場所(乃木坂駅への入口もありますよね)もそういう歴史があったのだなあとちょっと納得したわけだったのですよ。

あとは、写真2では坂道が二手に分かれていて、かつての乃木坂が、どちらかなのかは今でもわかりかねますし、この風景だって江戸時代の時とは違うのかもしれませんよね。
ただ、なんとなく今の乃木坂のトンネルと右側の階段、左側の坂道のつくりをみるとその名残りもあるのかなあと思いつつも、こればかりはもうちっと調べないとわからないところですかね。

ということで、今回はこんな感じです。

住所
港区赤坂8あたり