以前に書いた「閉店前の渋谷パルコ地下への階段とポスター」の続きといえばそうなのかもですが、閉店前の渋谷パルコの様子を撮った写真、まだあるのですよ。

すこし時間が経ってしまいましたが、今回は周辺の坂道とからめながらの話です。

渋谷パルコと井ノ頭通りへと下る坂道1
写真1

それがこちらですね。(写真1)
奥には渋谷パルコパート3の建物が見えていた場所ですね。
ここを歩いたことある方ならわかると思いますが、渋谷パルコ側から背後のほうへと下る結構な勾配具合の坂道になっているのですよ。
パルコ以外にも特徴的なお店がいっぱいある場所ですが、今回は目の前の渋谷パルコがなくなってしまう(建替ですが・・・)ということで、一時閉店になる前のパルコに絞って撮っておいたものなのです。
しかも、パルコの照明やらライトアップもわかりやすいということで、夜のものです。

渋谷パルコと井ノ頭通りへと下る坂道2
写真2

すこし坂をくだって坂下方向を見るとこんな感じの場所もあります。(写真2)
奥を横切っている道路が井ノ頭通りで、まさに渋谷の繁華街のど真ん中ともいえる場所ですね。
この通りのひと街区東側(写真2でいえば左側)にスペイン坂がある場所といえば、この勾配具合もすこし理解できそうですかね。

渋谷パルコと井ノ頭通りへと下る坂道3
写真3

そして、これですよ。(写真3)
写真2でも左の自販機の手前にちらりと見えていますが、いつもここを通るたびにゴミにまみれてある「山路愛山終えんの地」と書かれた木製の碑が気になっていたのですよ。
そんなこともあり、今回、ちょうどいい機会なので、写真にも撮っておいて、あんまり見ていて気持のいいものではないかもですが、あえて載せておくことにしました。

ちなみに、この碑には場所の説明も書かれてありましたので、いつものように抜粋しておくとですね、
『史論家として知られる山路愛山は、元治元年(1864)浅草に生まれました。明治29年から大正6年、54歳で没するまでここに住み、多くの作品を発表しました。代表的な著書に 「豊太閤」「西郷隆盛」「足利尊氏」などがあります。』
とのこと。
なるほど。
いちおう、抜粋文に人物リンクも張ってますので、そちらもよかったらどうぞ。

渋谷パルコと井ノ頭通りへと下る坂道4
写真4

気になっていたことを片付けた後は、再びパルコ前にきてぱちりと。(写真4)
特に今回は建物のこまかいことにはふれませんが、こうしてみるとやはり懐かしいですねえ。
つい最近このあたりを通った時は真暗でしたからね。
それにしてもここからみると、やはり手前と奥でけっこうな高低差になっていますね。
そんな高低差具合を写真でみながら、このあたりの地形とのかねあいも実はパルコの建物に影響していたことを突然思い出してみたり。
そして、坂上あたりでスペイン坂と合流しているというのも、ここらあたりの地形の特徴ともいえるかもですね。

渋谷パルコと井ノ頭通りへと下る坂道5
写真5

最後はエントランスのアップでも。(写真5)
ここでも手前と奥に結構な段のある階段があったんですよねえ。
あらためて、こういう今はなくなってしまったエントランスをみていると、まだまだ使えそうな立派な壁や地面のタイルとかガラスとか照明とかあるのに、これはどうなってしまうのか考えてしまいますね。
このあたりのことは全然くわしくないので、また知人にでもそのうちきいてみますかね(まあ、プラモデルみたいにがちゃがちゃと取り外したりできないことぐらいはわかってますけど、それでもやはりですね)。。
(え〜、そんなことも知らないのーと馬鹿にされるかもしれませんが・・・。汗、笑)

ということで、今回はこんな感じです。

地図
渋谷区宇田川町14あたり