ひさびさの都内の坂道再開です。

ちゃや坂と呼ぶそうで、場所は、JR目黒駅と恵比寿駅の間にある恵比寿ガーデンプレイスの南西エリアにある坂道で、坂上のそばには防衛省の施設が隣接している場所でもあります。

茶屋坂(NO.263)-1
写真1

まずは坂上からの様子でも。(写真1)
見てのとおりですが、けっこう道幅の狭い坂道でした。
しかも、道がくねくねしていたので、ここからは坂下の様子はまったくわかりません。

あと、ブログの写真では見えないと思いますが、正面の黄色い看板には10%という表示が書いてありましたよ。
なのでここは勾配10%ということですね。
ちなみに、軽く復習がてらですが、勾配10%と傾斜10度はかなり勾配具合が変わってきますのであしからず。
(10%の勾配で、5.5度くらい?)

茶屋坂(NO.263)-2
写真2

いちおう、写真1の背後も見てみました。(写真2)
防衛省の宿舎のマンションがボンボンボンと並んで見えていましたよ。

茶屋坂(NO.263)-3
写真3

次は、坂をすこし下り、坂上方向を見てみた物です。(写真3)
地面の舗装の色が途中からあずき色のものになっていましたが、これは普通なら、坂上あたりより勾配具合がゆるいからというパターンが多いのですが、ここはどうなんですかね。
見た目はむしろ傾斜はきつくなっているような気もしますけど。。

茶屋坂(NO.263)-4
写真4

写真3とだいたい同じ位置より、今度は坂下方向を見てみました。(写真4)
途中で右に曲がるポイントがありますが、今回の坂道はまっすぐのほうです。
とりあえず、今回の坂道は道幅が狭いまま、こんな感じで坂下まで続いているのですよ。
でも道幅が狭いとなんか独特の雰囲気がでてくるのは、やはり坂道のおもしろいところかもですね。

茶屋坂(NO.263)-5
写真5

こちらは、写真4でも見えていた、右に曲がる道を曲がり正面をみるとこんな景色がひろがっていたのですよ。(写真5)
ここは、茶屋坂ではないので、要は無名坂といえるのですが、勾配具合もいい感じの坂道でした。
あとは奥の目黒清掃工場の煙突もかなり印象的な場所だったかもですね。

茶屋坂(NO.263)-6
写真6

写真4とすこしかぶり気味ですが、写真5の立ち位置とだいたい同じ場所より、茶屋坂の坂下方向を眺めてみたものです。(写真6)
このあたりも道がくねくねしていて、坂下あたりはまだ見えていませんが、勾配具合はけっこうあるのはわかりやすいかもです。

茶屋坂(NO.263)-7
写真7

さらに坂をくだっていきますが、まだ坂下は見えず。。(写真7)
舗装が、例のドーナツ型なので、勾配はけっこうきつめなのかもしれませんが、距離がかなり長いので歩いているときはそれほどは感じなかったですかね。

茶屋坂(NO.263)-8
写真8

さらに坂を下ると、急にカクンと右に曲がるポイントがやってきます。(写真8)
そして、正面に見えている黄色い看板には、20%という文字が。。(かなりきつい・・・。)
さらに、その左横には、坂の碑ならぬ坂の案内版もあったのですよ。
いつものように抜粋するとですね、
『茶屋坂は江戸時代に、江戸から目黒に入る道の一つで、大きな松の生えた芝原の中をくねくねと下るつづら折りの坂で富士の眺めが良いところであった。この坂上に百姓彦四郎が開いた茶屋があって、3代将軍家光や8代将軍吉宗が鷹狩りに来た都度立ち寄って休んだ。家光は彦四郎の人柄を愛し、「爺、爺」と話しかけたので、「爺々が茶屋」と呼ばれ広重の絵にも見えている。以来将軍が目黒筋へお成りの時は立ち寄って銀1枚を与えるのが例であったという。また10代将軍家治が立ち寄った時には団子と田楽を作って差し上げたりしている。こんなことから「目黒のさんま」の話が生まれたのではないだろうか。』
とありました。

そうなんですよ。
この坂道、実はかつて坂道の途中から富士山が見えたという富士見坂でもあったんですね。
しかも、「大きな松の生えた芝原の中をくねくねと下るつづら折りの坂」とあるとおり、これは現在でもこれまで歩いてきた感じ(写真1から写真8)からも、昔のくねくね感もちょっと想像できそうですよね。

ちなみに、江戸時代にあったという爺々が茶屋については、説明にもあるとおり、広重の絵にも描かれています。

茶屋坂(NO.263)-広重絵図
「目黒爺々が茶屋」広重

それがこの絵図ですね。
右下あたりに見えているのが爺々が茶屋ですかね。
しっかり松も描かれていますね。
位置的には、写真1あたりからの景色を描いたものだろうと思われます。
ちなみに、この茶屋、将軍家光の時から、爺々が茶屋と言われるようになったそうですが、本来はこの茶屋から富士山を望むことができたことから、富士見茶屋と呼ばれていたそうですよ。

茶屋坂(NO.263)-9
写真9

そして、坂道をカクッと曲がり、さらに坂下方向を眺めてみたのがこちらです。(写真9)
まだ坂道は続いていましたよ。
しかも、ここでもあの煙突が。
ちなみに、富士山の方角ですが、地図で確認すると、実はここの坂道の軸線上にあるみたいですね。

茶屋坂(NO.263)-10
写真10

こちらは、写真9で見えていた横断歩道のあたりまで下り、坂上方向を見てみたものです。(写真10)
ここで坂上のほうが急に曲がっていているのは昔からだったのかどうかについては、手持ちの古地図では場所が微妙に外れていて確認できなかったのですが、写真でも見えているとおり、いつもの坂の碑があるので、昔からあったということにしておいて、とりあえずここでは、坂の碑の説明を抜粋するとですね、
『江戸時代、将軍が鷹狩りの際に立ち寄った、「爺々が茶屋」と呼ばれる一軒茶屋がこの近くにあったのが由来といわれている。』
ということでした。

茶屋坂(NO.263)-11
写真11

せっかくなのでさらに坂道を下り、坂上方向を見てみたものです。(写真11)
こうしてみるとかなりの高低差でした。
しかもここから坂上までの高低差を想像してみると・・・。

茶屋坂(NO.263)-12
写真12

さらに坂下方向に歩いていると、途中、道の西側(写真12でいえば左側)の擁壁とその緑がなかなかの感じだったのでおもわずパチリと。(写真12)


茶屋坂(NO.263)-13
写真13

そして、最後にこれなのですよ。(写真13)
微妙に、写真12ででてきた緑と擁壁も写真13の上のほうに見えている場所なのですが、なんとここに”茶屋坂街かど公園”なる公園があって、しかも、園内には「茶屋坂の清水と碑によせて」という案内版があったのですよ。
もうここまできたら、それも抜粋してですね、
『落語で有名な「目黒のサンマ」の話のもととなったといわれている爺々ヶ茶屋は、現在の三田2丁目に位置する茶屋坂の途中に、その由来をしめす説明板があります。この爺々ヶ茶屋は、江戸時代、徳川歴代の将軍、三代家光公、八代吉宗公が、鷹狩りにおなりのさい、背後にそびえる富士の絶景を楽しみながら、湧き出る清水でたてた茶で喉を潤したと云われています。中でも八代将軍吉宗公は、祐天寺詣でのおりにも利用したと伝えられています。こうして長い間、身分の垣根を越えて皆に愛され親しまれてきた「茶屋坂の清水」も、昭和8年、分譲地の造成工事のため、埋没の危機にさらされました。その時、この清水を惜しんだ、分譲地の一画にあった水交園の管理人夫妻が、清水の保護に努力されて「茶屋坂の清水」は、守られ、次の世代へと受け継がれてきました。その後、この清水は、東京大空襲の際には、消防用水、炊事用として付近の人々の命を救ったのでした。この碑は、戦後、「茶屋坂の清水」の由来を永く後世に伝えるため、この清水の恩恵を受けた人々により建てられました。残念ながら現在は、その清水も渇き、この碑だけが、唯一、当時を語っています。目黒区では、この碑の中に流れる人々の心を、受け継ぐ意味から公園に移動しました。この碑の心が区民の皆様にも永く伝えられ、当時を偲ぶ資料となれば幸いです。』
と長いですが、ありました。

要は、このあたりに、かって、おいしい水がわき出る清水があったということみたいですね。
なので、爺々ヶ茶屋もそのおいしい水でお茶をいれて、当時の将軍をもてなしていたのだなあと想像すると、今はひっそりとあるこの場所もなかなか興味深い場所だったのかもしれないですね。

そして、最後の最後に、これまでの話だけではちょっとわかりにくかった”目黒のさんま”のことについてすこしふれて今回はおわりにしたいと思います。

『例によって遊猟の帰途、茶屋に寄った将軍は、空腹を感じて彦四郎に食事の用意を命じた。だが、草深い郊外の茶屋に、将軍の口にあうものがあろうはずはない。そのむねを申しあげたが「何でもよいから早く出せ」とのこと。やむをえず、ありあわせのさんまを焼いて差しあげたところ、山海の珍味にあきた将軍の口に、脂ののったさんまの味は、また格別だったのだろう。その日は、たいへんご満悦のようすで帰った。それからしばらくして、殿中で将軍は、ふとさんまの美味であったことを思い出し、家来にさんまを所望した。当時さんまは、庶民の食べ物とされていたので家来は前例がないこと、たいへん困ったが、さっそく房州の網元から早船飛脚で取り寄せた。ところが料理法がわからない。気をきかせた御膳奉行は、さんまの頭をとり、小骨をとり、すっかり脂肪を抜いて差し出した。びっくりしたのは殿様。美しい姿もこわされ、それこそ味も素っ気もなくなったさんまに不興のようす。
「これを何と申す」
「は、さんまにございます」
「なに、さんまとな。してどこでとれたものじゃ」
「は、銚子沖にございます」
「なに銚子とな。銚子はいかん。さんまは目黒に限る」
この話が、落語「目黒のさんま」である。』 
(”「目黒の坂 茶屋坂」目黒区” のHPより抜粋)

ということで、今回はこんな感じです。

地図
目黒区三田2-11あたり