今回は、世田谷区の坂道の寄り道話でも。

というのも、前回の「馬坂 (NO.253)」の坂下あたりに岡本静嘉堂緑地があることは、すこし記事でもお知らせした通りで、散歩当日はせっかくなので寄り道してきたわけですが、実はこの緑地、なんとかつてはあの三菱財閥の創始者岩崎家の持ち物というか敷地だったそうなのですよ。

岩崎家玉川廟への階段1
写真1

そして、この緑地の中心地あたりに、こんなものがあったのです。(写真1)
知っている方もいるかもしれないですが、これは岩崎家代々の納骨堂(お墓)で「岩崎家玉川廟」と呼ばれているそうなのですよ。
しかも、この岩崎家玉川廟を設計したのは、鹿鳴館の設計者としてよく知られていて、東京駅を設計したことでも知られる辰野金吾氏などの日本人建築家を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築いたといわれている建築家のジョサイア・コンドル氏とのこと。
こ、こんなところに、という感じでありました。
あと、現地ではこの「岩崎家玉川廟」についての案内看板もありましたが、「せたがや百景」というサイトにて、この緑地のことなどを詳しく説明してくれているようですので、今回は、そちらをどうぞ。

岩崎家玉川廟への階段2
写真2

ちなみに、本題の階段についてですが、まずはこちらから。(写真2)
階段上方向からの眺めですね。
位置的には、この写真2の背後に写真1で写っていた岩崎家玉川廟があります。
なのでいちおう表玄関的な階段のはずです。
ただ、この階段、写真では、気にしてみれば分かるかもしれないですけど、かなり問題があったのですよ。。
というのも、階段の地面を見てもらうとわかりやすいですが、落葉いっぱい落ちていますよね。
実はここ、僕が現地を訪れた時は、廟ということもあってか、通常の見学コースとはされてないようで、こっそり歩くならいいよ(汗)という感じで入れるようになっていて、そのためかどうかわかりませんが清掃も行き届いてなく、これも写真ではまったくわかりませんが、通路上空には蜘蛛の巣もはっていて、しゃがんで歩かないといけない場所まであるくらいだったのですよ。(汗)(というか気分は、ちょっとした探検家という感じでした、笑)

岩崎家玉川廟への階段3
写真3

そして、こちらが階段下あたりからの風景です。(写真3)
坂下からみるとけっこうな高低差具合でしたよ。
あとは、この感じだとさっきの坂上からのものよりは放置具合がわかりやすいんじゃないですかね。
しかも、わかりにくいですが、いちおう写真上のほうには、大きな蜘蛛の巣も見えているのですな。。(汗)
まあ、あれくらい大きな蜘蛛の巣を払おうと思ったら、日常清掃レベルでは、なかなかたいへんだ思うので、そのまま放置されているのかなと思ってみたりしたのですが、深層は謎のままでした。

ということで、この場所は、もし今も、僕が行った時のままならば、青山霊園あたりを歩く気分でいくと、けっこう蜘蛛の巣まみれになるのでかなり気をつけて歩かないといけないですよという一言を加えておいて、今日はこんな感じです。

地図
世田谷区岡本2-23あたり