前回の「鉄砲坂 (御殿山界隈/品川区)」に続いて、ちょっと気になる資料が見つかったので、今回も鉄砲坂のことを再び取り上げてみたいと思います。


鉄砲坂その2_1地図
地図

まずは、前回の記事でも掲載した地図ですこしばかり鉄砲坂の復習です。
この坂道は、今は現存していない坂で、おそらく現在の地図に落とし込むとこんな感じかなということで描いてみたもので、御殿山から第一京浜のほうへ(東)に下る地形になっていたようです。
あと、前回の記事には書いてなかったのですけど、マピオンで今回の予想される坂上あたりの標高を計測してみると11m、そして坂下あたりも同じく計測してみると5mくらい。
ということは高低差6mくらいですか。
けっこうな高低差ですかね。
でもまあ、今の御殿山は、お台場を海につくるためにかなりの部分が削られてしまったので、比較は難しいですけど、昔はもっと高低差あったのかもしれないですね。


鉄砲坂その2_2古地図
古地図

そこで古地図が登場です。
これでみるとかつての鉄砲坂の坂下のすぐそばは海。
ということは、標高もかぎりなく0mに近いことになりますかね。
なので、高低差はやはりかなりあったと思われます。


鉄砲坂その2_3品川すさき
品川すさき

そして、この浮世絵です。
広重さんによる「品川すさき」(安政3年(1856)ごろ)という絵だそうです。
これは位置的には、上の古地図で(実はこっそり)鉄砲坂の左右に黄色の★マークを記しておいたのですけど、この浮世絵は坂の右側の★地点が該当する場所といわれているそうです。
ということは、かつての鉄砲坂の坂下付近の景色もこんな感じだった可能性は高いと思われます。
そうであれば、前回の記事の写真2が、今の坂下あたりの景色なのでえらい違いですね。。
あと、この浮世絵の右上のほうに描かれている小さな島が、かつての御殿山を削りとった土で築いたといわれるお台場だそうです。


鉄砲坂その2_4月の岬
月の岬

せっかかくなので、もう一枚。
こちらも同じく広重さんによる「月の岬」(安政4年(1857)ごろ)という浮世絵です。
上の古地図でいうと、坂の左側に黄色の★マークがあるところですね。
僕が参考にした本(ここが広重画「東京百景」)では、古地図の場所にて、絵に描かれているような豪華な料理屋はなかったかもしれない(左の影の女が遊女であることから)とも書かれていて、この場所についても空想だったのではないかという説があるようですが、とにかく広重さんが描きたくなるような景色がこのあたりに広がっていたことはたしかで、そんなことからもこの絵もあわせて紹介してみました。


というわけで、このあたりは東に海、北は御殿山(昔は桜の名所でもあった)ということで眺望的にもかなりすぐれた場所だったそうで、そういう意味でも、かつての鉄砲坂からの景色もかなりのものだったことは想像できそうですかね。



住所
品川区北品川1あたり