所在地:港区高輪3-16あたり


ほら坂と呼ぶそうで、別名で「法螺(ぼら)坂」や「鱣(ぼら)坂」と書く場合もあったそうです。
場所は、前に取り上げたさくら坂(NO.246)の北側エリアに東禅寺というお寺があるのですが、今回の洞坂はその敷地のすぐ東側にある坂道です。


洞坂(NO.247)1
写真1

まずは坂下あたりの様子から。(写真1)
東禅寺の正門から細めの路地をすこし北側に歩くとこのあたりにやってきます。
坂道自体は、正面の壁のところを左にくいっと曲がる形になっていました。
ちなみに東禅寺は、現地の案内板にもあったのですが、幕末にイギリス公使館が置かれていたところとして有名な場所なんだそうですよ


洞坂(NO.247)2
写真2

次は、坂をすこしのぼり、坂下方向を眺めてみたものです。(写真2)
車1台がやっと通れるかなという道幅がこの坂の急勾配具合を際立たせていたかもです。
奥の地面にマンホールの見えるあたりで一度、道が曲がっているので、すでにここからは坂下の様子を見ることはできませんでした。


洞坂(NO.247)3
写真3

すこし坂を上り、今度は、坂上方向を見てみました。(写真3)
いちおう正面に見えている場所が、この坂の頂上あたりになるみたいでした。
とにかく高低差はけっこうある感じでしたよ。
また見ての通りの立派な塀が右側にあるのですが、地図で確認してみると東芝山口記念会館なる施設があるみたいですね。


洞坂(NO.247)4
写真4

そして、坂上までやってきて、今回の坂道的には今さっき歩いてきた方向とは反対にあたる道をみてみると、今度は下り坂になっていましたよ。(写真4)


洞坂(NO.247)5
写真5

いちおう俯瞰てきに、坂上あたりを眺めてみました。(写真5)
写真左側に行く道がさっきまで歩いてきた坂になりますかね。
しかもよく見ると、写真右上には防犯カメラもあったりして、なんか物々しいというかなんというか。

そして、見てのとおりですが、ここにもいつものように坂の碑がありましたので、そのまま抜粋するとですね、
『法螺坂・鯔坂とも書く。このへんの字(あざ)を洞村(ほらむら)と言った。洞村とは、昔ほら貝が出たとも、またくぼ地だから、洞という等様々な説がある。』
とありました。

あと、興味深い史実として、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典に『(略)、途中また凸地になってさらに石段坂を上がると桂坂の途中に出る。』という説明がこの洞坂の項にあったのですよ。
ここにでてくる桂坂は、写真4の奥(北側)に道が見えていると思いますけど、実はそこが桂坂なのですね。
だから、この江戸東京坂道事典の記述では、写真5の場所から北側にある桂坂へ行くには”階段を上る”と書いてあるわけですが、現在は写真4をみてもらえれば一目瞭然、下り坂になっているのですよ・・・。
しかも古地図と見比べてみても、どの道が洞坂かどうかわかりませんでした。
いちおうネットで見れる昭和22年の航空写真を見てみてもあまり今と変わらない感じなので、この地形の変わり具合についてのことは、どこら辺でどう変わったかということも含めて今後の宿題ということにするしかないみたいですね。


地図
港区高輪3-16あたり