ちょっと今回は気分を変えて、坂道以外のことでも。
(考えてみれば、このブログは今まで坂道とあわせてその他もろもろの散歩話のことも時々取り上げてきたわけでして、たまにはそちらの話題でもというわけなのです。)


青山スパイラルができる前の話1
写真1


この前、ひさしぶりに青山のスパイラルに行ってきたわけなんですが、実はスパイラルの入り口あたりに写真1のような石碑がちょこんとあったりするんですよ。
とにかく前から取り上げようと思って写真には撮っておいたものだったのですが、この機会にふと思い出したのでちょっと調べてみることにしました。

この石碑には「高野長英先生隠れ家」と書かれてあり、
『ここは昔の青山百人町幕臣幕臣 与力小島持ち家で質屋伊勢屋の離れ屋先生の隠れ家又最後の処である時は嘉永嘉永三年(一八五〇)十月卅(30)日夜であつたこの度青山善光寺の碑の再建に際しここを表彰する 千九百六十四年(1964年)』
という説明文が加えられていました。


青山スパイラルができる前の話2
写真2

石碑のアップはこんな感じですね。

この石碑にでてくる高野長英さんは1804年生まれの江戸時代後期の医者・蘭学者だそうです。
その他の詳しいことはWikipediaのページでも見てくださいな。
→ 高野長英 ; Wikipedia


ちなみに、この地に今のスパイラルができたのが1985年とのこと。
ということは、先の石碑が設置されたのが、1964年ということみたいなので、このスパイラルができるまえから石碑はあったということになりますかね。(でも今の石碑自体なんだか新しめな感じので、もしかしたら説明だけは昔のものという可能性もありますけど。)
ちなみにちなみに、このスパイラルという名前は建物内の1階奥の吹抜けに螺旋スロープがあり、これがこの建物の名前の由来となっているそうでよ。
なので、建物自体は高野長英さんとはほとんど関係ないことはわかってしまったわけなのですが、それとは別にこのスパイラル、名前の由来からすると実は坂道つながりの施設なのでは?と強引に思ってみたりしてるんですが、どうでしょ。。


青山スパイラルができる前の話3
写真3
坂下方向


青山スパイラルができる前の話4
写真4
坂上方向

そして、この写真3と4だけ、最近のやつです。
もちろんさっきでてきた施設内の吹き抜け部分の螺旋スロープを撮ったものですよ。
またこの時は吹き抜け部分でアートイベントやっていたので、なんかワイワイした感じではありますかね。
(ていうかスルーしてもなんですので、これは大山さんも出展していたアートイベント開催中に、イベント見学とあわせて、とにかく気になってしまったので、あわせてスロープを撮ってみたものなんですよ。)


青山スパイラルができる前の話5
写真5

最後は、せっかくなのでスパイラルの外観なども。
ただしこちらは、最初の2枚同様、一年くらい前の写真ですけどね。


住所:港区南青山5-6-23