所在地:品川区北品川4-7あたり

今回はひさしぶりに都内に戻りまして、品川編の続きです。

やつやまの坂と呼ぶそうです。
場所は京浜急行の北品川駅から線路を越えて西側にある坂道です。
また坂上の北側には三菱開東閣というかつての旧岩崎家高輪別邸がある場所だったりもします。

八ツ山の坂(NO.243)1
写真1

まずは坂上からの様子です。
片側2車線のけっこうゆったりとした坂道でした。
ただここは、右側に交番があるため、あまりのんびりと景色を眺めていると不審がられるのでさらりと歩きながらぱちりと。

八ツ山の坂(NO.243)2
写真2

坂上からさらに坂上方向を見てみると、左側に立派な樹々のある場所が見えていますけど、こちらが始めにも書いたとおり、三菱開東閣がある場所ですね。
今回は見てないですけど、ネット情報から推測するには中の建物はなかなかいい感じのもののようですよ。

八ツ山の坂(NO.243)3
写真3

さらに坂を下り、坂下方向を見てみました。
街路樹がいい感じで植えられいましたよ。
そしてなによりも道路右側に見えている装飾チックなビルが坂道にかなりのインパクトを与えていましたよ。(地図で確認するとガーデンシティ品川御殿山というマンションみたいですね。しかもネット情報では建築主は積水ハウスとのこと。ちょっとびっくりでした。)

八ツ山の坂(NO.243)4
写真4

気がつくと、もう坂下あたりまでやってきてしまいました。
写真4は坂下あたりからさらに坂下方向を見たものです。
そして、写真の左側にソニーと書かれたビルがありますけど、ここにはロゴどおり会社があってですね、実はこのあたりがソニーの創業地だったそうですよ。なのでこの通りにも「ソニー通り」という別名もついているみたいなんです。

あと、ここには、いつものように坂の碑もありましたよ。
『このあたりは武蔵野台地の突端にあたる丘陵で、海岸に突き出た州が八つあったところから八ツ山と呼ばれた。この地にある坂のために、いつしか八ツ山の坂という名がつけられた。この道は、もと三間道路と呼ばれ、道幅は三間(約六メートル)で、あたりには人家も少なく、夜はさびしい通りであったという。』
ということだそうです。

また品川区のHPにも坂の説明がありまして、こちらも参考になるので抜粋しておくとですね、
『品川宿のはずれ、芝高輪との境に位置する丘を「八ツ山」と呼んでいました。名前の由来については、この地に八つの岬があったので「八ツ山」と名づけたという説や、八人の諸侯の屋敷があったので「八ツ山」と名づけたという説、この地がかつての谷山(やつやま)村の一部だったことから谷山が「八ツ山」に転化したという説がありますが、いづれも定説ではありません。この山は、江戸期に道路整備や目黒川の洪水復旧、護岸整備のために切り崩され平地となってしまいました。』

いろいろ説はあるようですが、とりあえず、この碑の一文「海岸に突き出た州が八つあったところから八ツ山」とか聞くと、昔なら「ふーん。なるほどー」で終わったのですけど(笑)、今やいろんな(余計な)知識やデータが身についてしまっているので、では地形俯瞰図や古地図なども貼り付けて、と、実はしてみたいところでもあるのですが、今回は最近読んだ本「風景を創る(中村良夫)」の中に書いてあった『言葉による風景デザインという方法を私たちは忘れかけていた。いや、忘れていたわけではないが、そんな古ぼけた習慣は一顧の値打ちも無いと考えていた。だから、全国の城下町で由緒のある町名が惜しげもなく捨てられていったのである。言葉や地名もまた、空間に意味を与える立派なデザイン手法であり、文化であるという認識をすれば、こんな蛮行が易々と行われるはずもない』という一文を読んではっとしてしまったこともあり、単純すぎてなんですが今回は以前の感覚にもどり、のんびり坂名の由来と坂道散歩の記録くらいだけを載せといてあとは各人のご想像におまかせするということにしておきますね。

八ツ山の坂(NO.243)5
写真5

というわけで最後は、坂下からの風景です。
左のマンションがやや圧迫感を煽っていますけど、その分、街路樹がいい感じの高さで並んでいる具合がわかりやすくなっているかもですね。

地図
品川区北品川4-7あたり