しかしまああれですね。
今回は神社内の階段が現地ではかっこいいなあと思い歩いていたのですが、帰ってから軽く調べていたら現地では気がつかなかったけっこうおもしろい史実がでてきたのでそのあたりのこともまじえながら。

場所は前回取り上げた「大田区立郷土博物館の北側にある眺望坂」の坂の途中の道を南にすこし下ると湯殿神社なる神社があるんですが、今回はそこの境内の無名階段です。

馬込城と湯殿神社の階段1
写真1

まずは「大田区立郷土博物館の北側にある眺望坂」から歩いてくると道沿いからこうま児童公園なる小さな公園が見えてきて、ふと奥をみると写真1のような感じで湯殿神社の本殿が見えていました。

馬込城と湯殿神社の階段2
写真2

気になり境内に入ってみると途中には写真2のような味のある階段もありつつ。

馬込城と湯殿神社の階段3
写真3

本殿の前には写真3のような階段もありました。
右の大木の育ち具合といい階段との関係といいなかなか良い感じでしたよ。

馬込城と湯殿神社の階段4
写真4

また写真4はすこし位置はもどりますが、本殿のそばから坂下のほうを眺めたものです。
こうみると坂下まではけっこうな高低差具合で、右側の社務所の屋根がいい感じのつくりでこちらも気になるところでした。

馬込城と湯殿神社の階段5
写真5

そして、一気に坂下の神社の入り口までやってきて坂上のほうを見てみました。
手前の階段のなんとも古そうなつくりと鳥居の奥のうっそうとした緑と大木がこれまた良い感じの風景つくっていたかもです。

そしてそして、実は湯殿神社の史実を軽く検索していたら、なんとこのあたりにはかつてお城があったそうなんですよ。
それがタイトル名にも加えたように馬込城というそうで、大田区のHPにも馬込城跡として説明があったのでそのまま抜粋するとですね、
『戦国時代の後北条氏の家臣である梶原助五郎(三河守)の所領で、東は北野神社(南馬込二丁目)、西は湯殿神社(南馬込五丁目)、南は臼田坂下(中央一丁目、中央四丁目)、北は大田区立馬込図書館(中馬込二丁目)までに及ぶ中世城郭でした。城の構えは周囲が急な崖で、周辺の谷に沼を配し、敵の侵攻に備えていました。特に西側の部分はかつて根古屋ねごやと呼ばれ、このあたりが城主の館の跡と伝えられています。写真は湯殿神社に隣接する湯殿公園の様子です。城の遺構は残されていません。』
とのこと。

そこで、湯殿神社と前にとりあげた臼田坂(NO.231)以外の北野神社、大田区立馬込図書館の場所はどこだろうと思い、地図におとしこんでみたものが次の地図です。

馬込城と湯殿神社
馬込界隈の地図

おそらく紫の点線で囲んだあたりがかつての馬込城の城郭だったエリアのようですね。
それで、肝心の馬込城のほうは、もちろん今はないのですが、こちらの東京都の城というサイトの説明によると今回の湯殿神社のすぐ東隣、しかも前回とりあげた「大田区立郷土博物館の北側にある眺望坂」も含めた場所にあったみたいなんです。
なのでこの無名坂の坂上からの風景は、かつてあった馬込城からの眺めとかぶっているところはあるかもですね。

というわけで、よくよく考えてみるとかつての馬込城は、「大田区立郷土博物館の北側にある眺望坂」とその北側にある南坂(NO.239)の間にあったということになりますかね。
むむー、現地ではまったく気がつきませんでしたよ。南坂(NO.239)の坂の碑にこれ書いててくれたら気がついたんですけどね。(笑)

地図
大田区南馬込5-18