所在地:大田区池上1-32


ろうし坂と呼ぶそうです。
場所は池上本門寺の境内にあり、此経難持坂(NO.228)の東側に朗師会館なる建物があるのですが、今回の朗師坂はそのすぐ隣を北に向かって上っている階段坂道です。


朗師坂(NO.229)1
写真1

まずは坂下からの様子など。
ここも歴史的には古い坂のはずなのですが、見た感じでは新しい感じのつくりですね。
階段を通すためだけにつくられたような立派な擁壁に急勾配の階段。
でもその割には階段の右側は、まだ木で土留をしていたりと未完成な感じがなんともおもしろいかもです。


朗師坂(NO.229)2
写真2

次は坂下からひとつめの踊り場まで上り、坂下のほうを見たものです。
こうしてみるとけっこうな勾配具合。


朗師坂(NO.229)3
写真3

で、同じ位置より坂上のほうを見るとこんな感じでした。
こちらもかなりの急勾配具合ですかね。
まわりの樹々は良い感じですが、坂上のほうに、なにげに墓石見えてるあたりがちょっと不気味なにおいがしなくもないですかね。。
あとは階段のつくりもこのあたりから、手作り感でてきてるようでした。


朗師坂(NO.229)4
写真4

そして、一気に写真3で見えていた墓石のある踊り場そばまでやってきて坂下のほうを眺めてみました。
もうあきらかに崖ですね、ここ。。
正面の学校の建物の高さから見ても4階床分くらいの高低差はありそうかもです。


朗師坂(NO.229)5
写真5

写真4と同じ位置より坂上のほうをみると、やっとこのあたりから勾配がゆるやかになってきていました。
またこのあたりからさらに坂道は手作り感がでてきて、ちょっとした昔にタイムスリップ気分になってくるのでありますよ。


朗師坂(NO.229)6
写真6

さらに階段をのぼってみると。。
もうそこは、あきらかに墓地でしたよ。
なんだかゲゲゲの鬼太郎でもいそうな雰囲気。
ただ写真にもうつっていますが、ここにもいつものように坂の碑ありましたので、ここが朗師坂の坂上あたりということは確定というわけなんですよ。

で、せっかく坂の碑のことがでてきましたので、碑の説明を抜粋するとですね、
『日蓮聖人の愛弟子日朗聖人は、祖師入滅後ささやかな草庵をつくり山上の日蓮聖人御廟所へ、毎日この坂を上って参詣したといわれる。』
とありました。

また坂の碑よりちょっとくわしい内容の説明が大田区の公式HPにもありましたので、そちらも抜粋しておきますね、
『大田区民会館脇を曲折して上る石段坂。坂名の朗師とは日蓮(1222年から1282年)門下六老僧の一人、日朗(1243年から1320年)のこと。日朗は祖師入滅後、寺窪(現在の照栄院付近)に草庵をつくり、以後三十有余年毎日この坂を上り、山上の日蓮御廟所へ参拝したといわれます。幼少の頃より日蓮の門下僧となり、師孝に厚く奉仕した日朗の美談は『日蓮聖人伝』に数多く描かれています。』


朗師坂(NO.229)7
写真7

いちおう写真6でも見えていた坂の碑あたりより坂下のほうもみてみました。
右側は朗師会館の建物、左側は大きな境内の樹々ということで、景色はまったくひらけてませんでした。


朗師坂(NO.229)8
写真8

ただ写真5と写真6の途中に景色がすこしひらけたビュースポットはありましたよ。
そして方角的には南に向いているわけでして、この景色と地形ぐあいからすると、やはりここも別名でかつての潮見坂と呼べるかも?と思えるわけですが、そのあたりの断定はまたそのうちの宿題(ここも同じくどこまでが江戸からかつて見えた海として断定していいのかまだわからないからですね。)ということでよろしくなりです。


地図
大田区池上1-32