所在地:大田区池上1-32


しきょうなんじ坂と呼ぶそうです。
場所は池上本門寺境内にあり、車坂(NO.227)の東側に位置し、本門寺大堂の南にある仁王門あたりより南へくだる階段坂道です。


此経難持坂(NO.228)1
写真1

で、いきなりですが、坂上からの風景など。
見てのとおりなのですが、かなりの高低差のある階段坂道で、雰囲気もかなり良い感じでした。
というのも、ここ、池上本門寺のメインの参道であり、他のお寺でいえば男坂にあたる階段のようなのですよ。
なので別名で「池上本門寺男坂」とつけてもいいくらいの存在かもですね。
でも、この階段は「此経難持坂」という一風変わった坂名がつけられているわけなんですよ。
そして、やはりというべきか坂の名の由来の説明のついては、池上本門寺の公式HPにも記載ありましたのでそのまま抜粋するとですね、
『熱心な法華信者で築城家としても有名な、加藤清正公の築造寄進になる。同公は、慈母の第七回忌にあたる慶長11年(1606)、その追善供養のため、祖師堂を建立寄進し、併せて寺域も整備しているので、その折の築造と考えられる。第14世日詔聖人のときである。第22世日玄聖人代の元禄年間(1688−1704)に大改修されているが、清正公当時の原型を残す貴重な石造遺構である。
なお、名称の由来は、『妙法蓮華経』見宝塔品第十一、此経難持の偈文※96字にちなむ。すなわち、末法の世に法華経を受持することの至難を忍び、信行することの尊さを石段を上ることの苦しさと対比させ、経文を読誦しつつ上れば自然にのぼれる、と言い伝えられている。』
とありました。
※偈文:仏の功徳などを賛美する詩。四句からなる

とりあえず“加藤清正が築造寄進した”という話が、ここをつくるのに全額彼の寄付でやったのか、ただ計画(指示)しただけなのかどうかとか、こまかく想像すると気になることいっぱいですが、まあそういう史実がある階段ということみたいですね。
そして、段数が、詩にちなんで96段になったというのもなんだか興味深いかもですね。
これが108文字(適当な数字ですよ)とかなら108段になっていたかもしれないわけですから。


此経難持坂(NO.228)2
写真2

頂上からの見晴らし具合はこんな感じでした。
この階段の軸線はほぼ南に向いていて、冬あたりでまわりの緑がなければ景色ひらけているので、今もそうかかもしれないですけど、おそらく昔ならビルもないので遠くのほうには海も見えたかもしれないですね。
そういう意味では、ご想像のとおりですが、男坂に続いて別名で「潮見坂」と呼んでもおかしくないかもですが、こちらはとりあえずの保留という形で・・・。(それいうと都内のけっこうな坂が潮見坂となりそうですので。)


此経難持坂(NO.228)3
写真3

次はすこし坂を下り、坂上のほうをみたものです。
坂上奥のほうにちらりと見えているのが仁王門です。
今の仁王門は昭和20年4月に空襲で焼けてなくなり、昭和52年に再建されたものらしいですよ。


此経難持坂(NO.228)4
写真4

そして、坂の中腹あたりにやってきました。
まだこのあたりでも建物3階分くらい(たぶん)の高低差はありそうでした。
いちおう軽く計算してみるとですね、この階段、坂の説明によれば全部で96段らしいので、その半分で48段。で、1段の階段高さが20cmくらいとしてみると、960cm。なのでまあ建物一階分の高さが3mくらいとするとおよそ3階分くらいの高低差かなーという感じになりそうですよ。

と、まあそれはさておき、見ため的には、このあたりから目の前の樹木もなくなりだしてきて、ちょうどよい感じで景色がひらけて見えていたのは印象的だったかもです。


此経難持坂(NO.228)5
写真5

まただいたい同じ位置より、坂上のほうを見るとこんな具合でした。


此経難持坂(NO.228)6
写真6

で、坂下付近までやってきて、さらに坂下のほうを見てみました。
正面に見えているのが、総門です。
こちらは仁王門と違い、昭和20年の戦災を免れた貴重な存在の建築物らしいですよ。


此経難持坂(NO.228)7
写真7

あと、写真6の右側をみるとこんな感じで、灯籠みたいというかお墓みたいというか小さな塔のようなものがあったり、坂の碑もあったりしました。(坂の碑の説明については、上の抜粋文のほうが詳しいので、ここでは割愛させていただきますね。)


此経難持坂(NO.228)8
写真8

そしてそして、やっと坂下までやってきました。
写真8は見てのとおりですが、坂上のほうを眺めたものです。
ここからみると、これまた違った雰囲気があっていい感じでしたよ。
高低差にあった傾斜具合やらも、きちんと計算されてつくられた感じがぷんぷんしてますが、なんといってもやはり四百年という時を経ているせいか、もうそんなことはどうでもいい感じという風情ですかね。


此経難持坂(NO.228)9
江戸自慢三十六興・池上本門寺会式

ちなみに、この此経難持坂、広重さんの浮世絵(1864年作)としてものこされてました。
奥の階段が此経難持坂ということみたいですよ。
あとは、この当時、坂下の総門はなく坂上の仁王門だけが描かれてあり、これが広重さんのデフォルメなのかどうか、そのあたりの真相はさだかではないですのであしからず。


此経難持坂(NO.228)10
写真9

あと、写真7の奥のほうに実は見えていたのですが、理境院なるお寺もありました。
写真8でいえば、左側のほうにですね。
こちらは、知ってる方もいるとは思いますが、慶応3年(1869)の幕末に官軍参謀の西郷隆盛が本門寺に駐屯した際、この理境院を宿舎にあてたという史実があることでも有名な場所です。


此経難持坂(NO.228)11
写真10

そして最後はおまけです。
実はこちらも写真6の左側でひそかに寝転がっていた猫なのですけど、けっこう長い時間このあたりでうろちょろしつつ、無防備に寝ていたのでぱちりと一枚。(笑)


(ということで、けっこうヘビー級な坂というか階段坂でしたが、なんとかおわらせることできました(ふ〜)。。ではでは、今日のところはこんな感じです。)


地図
大田区池上1-32