ブログネタ
神社・仏閣 に参加中!
所在地:大田区池上1-1


くるま坂とよぶそうです。
場所は、池上本門寺境内にあり、坂上は紅葉坂(NO.226)とつながっていて、境内を南にむかってくだるカーブのきれいな坂道です。


車坂(NO.227)1
写真1

まずは坂上から坂下のほうを眺めたものです。
車坂という名前からなんだか人工的なイメージが先行していた坂道だったのですが、いざ現地にきてみると、道の両サイドの樹々の育ち具合がものすごく、それがまた両サイドの背の高い擁壁とあいまってすごくいい感じの坂上風景だったかもです。
あと、手前の黄色い交通看板には勾配9%と書いてありました。


車坂(NO.227)2
写真2

で、写真1の左には、こんな感じでお寺の境内らしい建物も見えていました。
休憩処のむこうに見えるのが大堂ですね。
写真ではひとつの建物みたいに見えなくもないですけど。。
あとは手前の道(脇かな?)に赤というかピンクというかそういう色の花がぽつねんと咲いている感じがいい味だしてました。


車坂(NO.227)3
写真3

すこし坂を下り、坂上のほうを見たものです。
まさに緑のトンネルといった感じ。
それにしてもまわりの樹々、でかすぎです。(いい意味で、笑)


車坂(NO.227)4
写真4

次は、写真3とだいたい同じ位置より坂下の方を眺めたものです。
このあたりからいい感じで坂道がカーブしだしてます。
あとは左右の擁壁が直角でなく上にいくほど道の外側に傾斜しているわけですが、これはすばらしい発想というかつくりですよね。
でもまあ、これも道とまわりの土地に空きがあるからできたことだろうとは思いますが。


車坂(NO.227)5
写真5

すこし坂を下り、今度は坂上のほうを見てみました。
写真4と同様、両サイドの樹木があるレベルの場所と比べると、この坂の高低差具合がわかりやすいんじゃないですかね。


車坂(NO.227)6
写真6

こちらは、さらに坂を下り、坂下を見たものですが、カーブはまだ続いているようでした。
このあたりから、右側には坂下あたりの街並みがちらちらと見え出してきてました。


車坂(NO.227)7
写真7

で、さらにすこし下り、坂上のほうを眺めてみると、これまたなんともいえない雄大な坂道風景がひろがってました。


車坂(NO.227)8
写真8


道がくねくねしているので、写真一枚ではおさまり切らない場所が多かったので、写真の枚数多くなって申し訳ないですが、今度はさらに坂を下って坂下のほうをみたものです。
またこのあたりから大きく道が右にカーブしていますが、ちょうどアイストップの位置にある大木がすごい感じだったので、おもわずぱちりと。


車坂(NO.227)9
写真9

次は、写真8とだいたい同じ位置より坂上のほうをみるとこんな感じでした。
右側の樹が手前と奥とでかぶって見えていたのでとんでもない大きさなの巨木のように見えていましたよ。


車坂(NO.227)10
写真10

そして、やっと坂下までやってきました。

あまりに途中の美カーブと大きな樹々に圧倒されて忘れてましたが、ここにもいつものように坂の碑があり、
『『新編武蔵風土記稿』に、「車坂、経蔵の背後の坂なり」とあり、また、「池上長栄山本門寺図」天明元年(一七八一)には、車坂が描かれている。昔からある古い坂道である。』
と書いてありました。

また似たような内容ですが、大田区の公式HPにもこの車坂の記載があり、
『池上本門寺の表参道から見て西側、本町稲荷神社脇からカーブしながら本門寺境内経蔵脇へ上がる長い坂で、両脇を大樹が覆う緑の美しい坂道です。『新編武蔵風土記稿』には「車坂、経蔵背後の坂なり。」とあり、また、『池上長栄山本門寺図』(天明元年=1781年)にも、車坂が描かれています。江戸時代にはすでに荷車が使用されるようになりましたから、荷車を通す坂ということで車坂と呼ばれるようになったと考えられます。このように、江戸時代にはすでにあった古い坂道です。』
とありました。

いちおう坂の説明によれば、この坂道、江戸時代からあったんですね。
ということは、まわりの大きな樹々もかなりの老樹ということで、あれだけ大きいのかもという可能性ありそうですね。
ただ古い坂道(古道)の割には道幅はゆったりしていたかもですよ。


車坂(NO.227)11
写真11

そしてそして、こちらは写真10の右側にあった本町稲荷神社なる神社です。
かなり質素な感じでした。
お寺のこんなそばにこんな神社あるんですね。
神と仏の違い、うーん。
まだまだ頭の中で整理せねばならんこと多いみたいですよ。。(泣)


地図
大田区池上1-1