所在地:千代田区三崎町1


おぐり坂とよぶそうです。
場所はJR水道橋駅から徒歩2・3分のところにあり、坂上は皀角坂に面しており、そこから南のほうに下る緩やかな坂道です。


小栗坂(NO.219)1
写真1

ではさっそくですが、写真1は坂上から坂下のほうを眺めたものです。
ゆるやかな勾配すぎて、途中に坂の碑がなければ、ここが坂道だと気が付かないくらいの場所だったかもです。
しかもこんなに広い道路なのに一方通行。
そしてまわりの様式の違うビルのファサードのごちゃごちゃ感を補うようになにげに(というか控えめに)街路樹もあったり。
個人的には、なんていうか空見上げるとちょっと気分がくらくらしてきますが、道だけみてると落ち着いた道路に見えなくもないかなあという印象でした。


小栗坂(NO.219)2
写真2

こちらは写真1の左側にあったビルのファサードのアップ。
今時のビルにしては凝ったつくりかもですね。
でもまあしいていえば、ビルのガラス張りの冷たいイメージに、なにげにこのような装飾、しかもこの地域のビルに多い茶色系の色を混ぜることで、なんとかがんばってこの地域にとけ込んでみようかな(みました)という雰囲気をだそうとしてるのかもなあと、ちょっと思ってみたりしました。


小栗坂(NO.219)3
写真3

今度は、坂をすこし下り、坂上のほうをみてみました。
なので正面がJRの線路で、その下の道路が皀角坂ということになります。

あと、ここからもちらりと見えていますが、ここにもいつものように坂の碑があり、
『この坂を小栗坂といいます。『江戸惣鹿子名所大全』には「小栗坂、鷹匠町にあり、水道橋へ上る坂なり、ゆえしらず」とあり、『新撰東京名所図会』には「三崎町一丁目と猿楽町三丁目の間より水道橋の方へ出づる小坂を称す。もと此ところに小栗某の邸ありしに因る」とかかれています。明暦三年(一六五七)頃のものといわれる江戸大絵図には、坂下から路地を入ったところに小栗又兵衛という武家屋敷があります。この小栗家は「寛政重修諸家譜」から、七百三十石取りの知行取りの旗本で、小栗信友という人物から始まる家と考えられます。』
とありました。

ちなみにこの坂、江戸の古地図を見てもちゃんと今と同じ位置に道があり、そこに小栗坂って記載ものっていましたよ。


小栗坂(NO.219)4
写真4

で、歴史的にも古い坂道ということはわかったわけですが、この坂、実はビルとの隙間からこんな風景も楽しむことができました。
場所でいえば、写真3の右側あたりにちらりと見えていて、ちょうど左奥が皀角坂ということで、写真左から右へと上り坂になっていてさらに手前から奥へと崖になっている地形なので、ビルの高さ具合と地形のせめぎあいがなんともおもしろい感じで成立している場所でした。


小栗坂(NO.219)5
写真5

そして、あっというまに坂下までやってきました。
そういえば、この記事書いてる時に古地図の本の解説に『坂下の中坊陽之助邸は松尾芭蕉の旧跡、芭蕉蔵で知られる。』とあったので、どこぞや?と思い、地図やら古地図など見つつ調べてみても、結局近くにはそういう場所はなくどこにあるのかわからずじまいだったのですが、その後(といっても1時間後くらいですが、笑)、ネットで調べたらなんと明治大学のサイトにいきあたり、そこに『明治大学は俳人、松尾芭蕉のゆかりの地です。現在リバティタワーがある場所は江戸時代、4000石の旗本・中坊(なかのぼう)氏の屋敷があり、その中の蔵に芭蕉は仮住まいしました。のちにその蔵は「芭蕉蔵」と呼ばれています。』なんてことが書かれていましたよ。
いちおうその知識を得てから、古地図みてみると、小栗坂のはるか坂下の今の明治のリバティタワーがあるあたりに、たしかに中坊陽之助邸という記載がありましたよ。
へえー、そうだったんですね。(笑)
地味な坂だなあと思ってたら以外な史実にぶつかって、不思議な縁を感じてびっくりという思いですよ。
なのでまたそのうち、その蔵がどうなったかも調べてみますかね。


地図
千代田区三崎町1


※はじめにでてきた小栗坂の坂上と接している皀角坂(さいかち坂)については、みちくさ学会ですでに記事にしていますので、そちらもよかったらどうぞ。
電車がすぐそばを走る場所としてロケでもよく使われる駿河台と水道橋を結ぶ眺望坂