所在地:千代田区神田駿河台1


きちろう坂と呼ぶそうです。
場所は文坂(NO.215)の坂上のほうでちょうど今回の吉郎坂の坂下が接続しており、さらに吉郎坂を下る方には甲賀坂(NO.214)と接続して、要は地図的にみると、十字架の縦長の部分が文坂(NO.215)で左が吉郎坂、右側が甲賀坂(NO.214)という感じのちょっとした坂ずくしの場所でもあったりします。

ただこの吉郎坂という名は区が認めた正式なものではないらしく、かつては胸突坂(むねつき坂)と呼ばれていた時期もあったそうです。(もしくは別名。)
胸突坂の名前については、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」に記載があり、『「新撰東京名所図会」には「胸突坂 袋町の間を東より西に向ひて上る坂あり胸突坂といふ、胸突坂は急峻なりしより起これるなるべし。新編江戸志にも胸突坂とありて、小川町より駿河台の方へと上る坂なり」とある。』と書かれています。


吉郎坂(NO.216)1
写真1

そんなわけで、まずは坂下からの風景です。
手前の通りが文坂(NO.215)で、左にリバティータワー、右が大学会館という場所をさらりとかけあがっていく短い急坂となっていて、ここから見る分には道の両側が明治大学の施設ということもあって、どこか学校の施設内に入っていくような気分になってしまいました。


吉郎坂(NO.216)2
写真2

それで次は、ちょっと坂を上って坂下のほうを見てみました。
ちょっと上っただけで、まわりの建物をみてもらうとわかりやすいかもですが、すでに2階床レベルくらいの高さまで上ってきているようでした。
いちおう正面の通りの向こうにある道が甲賀坂(NO.214)なんですけど、ここから見る分には普通の平坦な道のようしか見えませんかね。。

ちなみに写真ではちょっとわかりにくいですけど、坂下の横断歩道の右側のちょっと手前あたりにこの坂の名が記された石碑が置いてあるんですよ。
ただ、そこには坂の現在の名前(吉郎坂)が記されているのみなのですが、実は明治大学の公式サイト内に、この吉郎坂についての名前の由来の説明が書かれていて、それによるとこの坂は佐々木吉郎という明大の経営学部を創設した先生の名前に由来しているらしく、サイトには『彼は人格的にも「吉ちゃん」と親しまれ、なんと彼の名に因んだ坂もある。駿河台の大学会館とリバティータワーの間、ヒルトップ・ホテルに緩やかに続く坂が「吉郎坂」と命名されている。(確認したい人は、リバティータワーの脇に、「吉郎坂」と書かれた石標を見ることができる。かつて作家の田辺聖子が“とぼとぼと”この坂を歩いていた。)』と書かれていました。

まあなんていうか、なぜこの吉郎先生とこの坂がつながったかは不明で、かなりの強引感はありますけど、とりあえず今回はこれ以上の深追いはしないことにしてみます。


吉郎坂(NO.216)3
写真3

今度は坂上のほうを眺めたものです。
もうこのあたりからも坂上の頂上のほうが見えていました。
あとは狭い道のくせして、左右に歩道があるあたりが、なんだか変な感じというか大学施設にはさまれた、ある意味穏やかな感じのする坂道なのかなあと。


吉郎坂(NO.216)4
写真4

そして、坂上には、写真3からも見えていた山の上ホテルがでんと構えていました。
山の上ホテルについてはかなり有名なので知ってるかたも多いと思いますので、詳しくはウィキペディアの説明でも見てみてください。
ホテルの歴史から建物自体にはじまり作家の定宿としても知られるなど、けっこう見所のあるホテルですので。
山の上ホテル


吉郎坂(NO.216)5
写真5

で、肝心の坂上からの眺めはこんな感じでした。
両サイドにのっぽのビルがあるわりには、なんとなくひらけている感がある景色だったかもです。


216)6
写真6

そんでもって空見上げてみるとまあ、こんな具合でした。
これが出来る前はもっとスカっと空見えてたんでしょうけど、今はなんとなく見下ろされている感がなんともなんともだすなーという感じでした。
そういう意味では、この背後にある山の上ホテルからの坂の眺めも昔はもっと景色がよかったんでしょうかね。


地図
千代田区神田駿河台1