所在地:千代田区神田駿河台1


こうが坂と呼ぶそうです。
場所は前にとりあげた池田坂(NO.213)の坂下から西へ上る坂道で明大通りにぶつかるまでの道が今回の坂道ということになります。
そしていちおう古地図も確認してみましたけど、この道はいちおう昔からある道みたいです。


甲賀坂(NO.214)1
写真1

そんなわけで、まずは坂下あたりの様子など。
見てのとおりここって坂なの?と思ってしまうくらい勾配具合はゆるく、しかも写真奥に信号見えてますけど、あのあたりが坂上ということで距離も短い坂道です。
また右側には日大の校舎が見えているとおり、このすぐ右側も坂道になっていて上でもあげた池田坂(NO.213)がぼぼんと控えています。


甲賀坂(NO.214)2
写真2

次はさらに坂を上り、坂上のほうを見てみたものです。
左側は広大な駐車場となっていて、さらに奥には明治のリバティータワーがそびえ建っていて、空地に高層ビルという感じでどこぞの再開発地域なんでしょ?と思いたくなるような景色が広がっていました。


甲賀坂(NO.214)3
写真3

またちょうど写真2の右側に日大歯学部の建物があって、その道路際にこんな銅像があったわけですけど、やっぱり無視できませんで、なんとなく日本的な感覚でみると(というか大仏さん想像してですけど)、こんな雨風激しくあたるとこにたてちゃって大丈夫なんですかねなんて思いつつ、でも銅像っていえばやっぱり青空の下にあるもんだよなあと思いなおしてみたりと、まあいろんな考えがぐるぐるとまわりつつ、思わず近寄ってぱちりと一枚。(笑)


甲賀坂(NO.214)4
写真4

そして、一気に坂上あたりまでやってきて、坂下のほうを眺めてみました。
のっぺらりんとした坂道で、都心らしく高層ビルもたくさんあって、こちら側からみると坂下からみた感じと違い、どちらかというと丸の内あたりの雰囲気とかぶってくるというか、そういう気もしてくるんですけど、どうでしょ。


甲賀坂(NO.214)5
写真5

あと、写真4の左側に東京YMCA会館なる施設があるんですけど、ここけっこう有名な施設らしくてHPをみると、「日本では、初めて公にYMCAの「Young」を「青年」と訳し、広く用いるようにした。」なんてことが書かれていて、ほかにもバスケやバレーボールを日本に紹介したのもここに所属していた人たちだったなんてことが書かれていましたよ。ただ個人的には、この建物、僕が大学在学中に学校で教えていた先生が設計されたビルということで記憶していただけだったので、今回、坂道資料をいくつか見ながらあらためて、ほほーと思いなおした感じでした。

ちなみにここにもいつもの坂の碑があり、
『この坂を甲賀坂といいます。「東京名所図会」には”南北甲賀町の間に坂道あり、甲賀坂という。甲賀の名称の起源とするところは往昔、甲賀組の者多く居住せし故とも、又光感寺の旧地をも記されるが云々”とかかれています。どちらにしてもこのあたり甲賀町と呼ばれていたことから名がつけられました。甲賀町の名は、昭和八年(一九三三)から駿河台一、三丁目となりました。』
とありました。

なので、昔はこのあたりは忍者屋敷ということだったんですかね・・・(わかりませんけど)。
でも今はYMCAだったり学校の施設だったりと、まあそのつながりみたいなものはちょっと想像できないものとなってしまったかもですね。

ということで、あとは「甲賀組」というキーワードでここからたらたらとさらに調べたくなってきてしまいましたが、それすると話長くなりそうなので(汗)、とりあえず今回のところはこんな感じです。


地図
千代田区神田駿河台1