所在地:千代田区神田淡路町2あたり

かんのん坂と呼ぶそうです。場所は御茶ノ水の新坂(NO.210)のひとつ南側を外堀通りから西へと上っている坂道です。

観音坂(NO.211)1
写真1

まずは坂下からの様子です。
都心部のちょっと駅からはなれた場所によくありそうな感じの風景ですけど、しいていえば坂上に行くほどビルが高層になっていくというのは、あらためてじっくり見てみると、ちょっと珍しい感じかもですね。
またここは一方通行の道なのに道幅はけっこう広めなつくりでした。

観音坂(NO.211)2
写真2

それからこちらは一気に写真1で見えていた奥のほうの勾配が急になっているところまでやってきて、さらに坂上のほうを見たものです。
遠くからみると緩い坂だなあと思ったんですけど、いざこのあたりまできてみると、以外と勾配具合を感じました。
あと、どうでもいいといえばそれまでなんですけど、左側に見えているオレンジ色のシャッターがちゃんと斜面の傾斜にあわせてぴったりと地面にひっついている感じがなんとも日本的な細やかさというかかんというか。

そして、もうひとつは正面の白いビルですかね。
地図でみると全電通ホールと記されてましたけど、なんか気合入ってますね。
首を左に傾げてじっくり見てみると、なんだか階段にも見えてくるところがなんとも良い感じです。(笑)
(こういうつくりのビルがここと同じ感じで坂の傾斜部分の両サイドにあるとちょっと目がまわりそうですけどね。。)

観音坂(NO.211)3
写真3

そういうわけで、あっというまに坂上あたりまでやってきました。

と・・・、あ、むむむ。
今、写真3をじっとみてたら奇妙なものを発見してしまいました。
ここの道路の両サイドにぽつぽつと置かれているガードレールの下よく見てみてください。
なんとH型の断面をした鉄骨造の柱に使われていそうな鉄材の上にガードレールが取り付けられていますよ!
ある意味最強のおもしかもしれないですけど、はたして、どういう経緯で導入されたものなんですかね。。(汗)

観音坂(NO.211)4
写真4

そして、ちょうど写真3の左側にいつもの坂の碑と小さな観音堂がありました。
というわけで、この坂の碑には、
『この坂を観音坂といいます。『東京名所図会』には”新編江戸志に、観音坂は埃坂の並び、むかし、茅浦観音寺やしきありし故に名づくなりと見ゆ。此の坂の上観音院という称する仏刹ありしことは寛永の古図を見ても知らるべし、新編江戸志に観音寺とあるは観音院の誤りなるべし”とかかれています。しかし、延宝(一六七三〜八〇)、元禄(一六八八)の古図には、このあたりに「芦浦観音寺」が見え、名の起こりは観音寺または観音院によるといえます。』
とありました。

あと上の説明だけではちょっとぼんやりとした感じですので、千代田区のHPにもここの坂名についての記述があったので、最後にそれも載せておきますね。
『「本郷通り」から、全電通労働会館とホテル竜名館の間を「外堀通り」に抜ける下る坂です。寛永の頃から元禄の頃までホテル竜名館の所に茅浦観音寺があったことから呼び慣わされた坂の名です。』

地図
千代田区神田淡路町2あたり