所在地:千代田区神田淡路町2


あわじ坂とよぶそうで、別名で相生坂、大坂、一口坂(いもあらい坂)ともいうそうです。
場所はまさにJR御茶ノ水駅から目と鼻の先にある聖橋の南端が淡路坂の坂上あたりになります。


淡路坂(NO.209)1
写真1

坂上あたりに様子です。
このあたりはJR御茶ノ水駅の東口にあたる聖橋口改札をでるとすぐに見えるところなので、ああここね!とわかる方もいるかもしれませんね。
ちょうどすぐ左手はJRの線路で、坂は秋葉原のほうに向かって下っていっています。


淡路坂(NO.209)2
写真2

ちょっと横をみると、すぐ左手前には聖橋、線路の向こうには湯島聖堂もちらりと見えています。


淡路坂(NO.209)3
写真3

さらにその横には、なんとも神秘的な感じの巨木がでんとありました。
またこの巨木には、写真では手前の標識に隠れてちょっと見えていないですけど、簡素な木版案内板が設置してあって「太田姫神社」というタイトルで説明が書かれていました。
せっかくなのでそのまま抜粋してみますね。
『太田姫神社
太田姫神社は江戸城外濠(神田川)を作るにあたり伊達家と徳川家が神田山を開削した時、江戸城の結界また鬼門の護り神として江戸城内よりこの地に移された。昭和六年(一九三一)総武線開通に伴い、現在の駿河台下に移る。尚鐡道(「甲武線」中央線の前進)は堀の中にあり、開通時天皇家との間に堀幅を減じない中で商賣を営まない環境を守るとの約束がある(明治期鐡道史より)
この椋の木 落葉睫據_屬藁弌ー造惑算隋

あとついでなので、写真3でもみえている坂の碑も抜粋しておきます。
『この坂を淡路坂といいます。この坂には、相生坂、大坂、一口坂などの名称がつけられています。この坂の上に太田姫稲荷、道をはさんで鈴木淡路守の屋敷があり、それにもとづき町名、坂名がついたといわれます。
一口坂については太田姫稲荷が通称一口稲荷といったためとされています。大坂はもちろん大きな坂という意味でしょう。』

てなわけで、このふたつの案内板でこのあたりのだいたいの歴史の流れみたなものもおわかりいただけたかと思いますので、僕がこまかく説明することはほとんどありませんが、ただひとつ気になったのは、この案内板から推測するとやっぱりかつての太田姫神社は、今の御茶ノ水駅(聖橋の下)があるあたりにあったのかもしれないですけど、こればかりはもうすこしこまかく調べてみないとわかりません。

ただ、「鐡道」と書いて「てつどう」って読むのにはちょっと驚いたかもです。(そっちですか・・・・。)


淡路坂(NO.209)4
写真4

では坂道に話はもどりまして、こちらは坂上からの眺めです。
このあたりからやっと勾配がつく感じでした。
かなりのハイレベルな坂風景といえるかもですね。
坂の高低差もかなりのもので、空も広く見えて、線路側に電線電柱がないのでJR総武線と中央線が合流している珍しい高低差の様子も坂下のうほうでみれますしね。


淡路坂(NO.209)5
写真5

今度はすこし坂を下り、坂上のほうを見たものです。
このあたりは、道の両側の樹木や草木に元気があってけっこう目に飛び込んできました。
遠くには駅前の新御茶ノ水ビルの高層ビルがでんと見えています。
あとは坂の左側が工事中なのでもしかしたら、なにかまた大きなビルが建つのかもしれないですね。


淡路坂(NO.209)6
写真6

そいでもって、歩いていると坂の途中でちょうど中央線の列車がガタンゴトンと走っていたので思わずぱちりと。
これまた坂道風景としてはかなりのレア度かもです。
しかも、手前の柵、現地では気がつかなかったんですが、なにやら鳥が休憩できないように、なかなか味のあるガウディー風のギザギザが最上部についていてなかなか面白いです。


淡路坂(NO.209)7
写真7

またちょっと坂を下った場所では、こんな写真も撮れてしまいました。
これは踏切からのものとかではないですよ。
こうしてみると左側の坂の勾配具合やら地形と線路の関係やらもあわせて見れていろいろと参考になります。


淡路坂(NO.209)8
写真8

さらに坂をくだり、一気に坂下あたりまでやってきて、坂下のほうを見てみました。
もうこのあたりまでくると平地になっていて、さっきまで真下にみえていた線路も頭上にあるという具合でした。


淡路坂(NO.209)9
写真9

せっかくなので、坂下から見た淡路坂の景色などでも。
このあたりまでくると普通の坂道という感じですかね。


淡路坂(NO.209)10
写真10

でも、写真9の右側あたりにはこんな場所があったりします。
都内ではよくありがちな高架下のお店なのですけど、よくよくじっとみてみると高架自体のレンガやらその他もろもろのつくりがなんともレトロでいろんな素材がまざってておもしろい感じです。


淡路坂(NO.209)11
写真11

(今回はかなり長めですのでまだまだ続きますよ。)
こちらは、坂下の外堀通に面したあたりの高架のものです。
たしかブラタモリでも(ここだったかどうかは憶えてないですけど)似たようなつくりの高架の話が取り上げられたので知っているかたもいるかもですが、かなり古いつくりで新旧いろんな構造やら素材やらが混じりあって電車の高架がつくられていました。
ここから右側が橋になっていて緑の部分は見てのとおり新しめの鉄のようですが、左側の部分は時代を感じるレンガやら石が綺麗に配置されてますね。
しかもこのレンガ、今の時代ならハリボテ扱いにするのかもしれないですけど、たしか本物のレンガを組んで組み建てているんだったと思います。(かなりあやふやな記憶なので間違っていたらごめんなさい。)


淡路坂(NO.209)12
写真12

さらに下見ると、奇妙な場所がまたひとつ。
柵柵風景ですかね。(笑)
雑草まで元気に生い茂っていたり、左側にはこれまた坂の碑があったり。。
あっ、そうそう。
そういえば、ここの坂の碑。
坂上にあったものとちょっと文章が違っていたんですよ。
『この坂を淡路坂といいます。この坂には、相生坂、大坂、一口坂などの別名もあります。坂上に太田姫稲荷、道をはさんで鈴木淡路守の屋敷があり、これが町名、坂名の由来といわれます。一口坂は、太田姫稲荷が一口稲荷と称したためです。』
上の文と比べてもらえればわかると思いますけど、やはりこちらは平成二十二年一月に補修とのことで碑も新しくて簡易説明といった感じみたいでした。


淡路坂(NO.209)13
写真13

というわけで最後の写真です。
実は、写真12の場所から右にちょこっとあるくと昌平橋という知る人ぞ知る橋があり、そこからみたのがこの風景です。
運河をさけてつくられた変わったつくりの橋脚やら、左側のレンガつくりの線路やらなかなかおもしろい風景がひろがっていました。


淡路坂(NO.209)14
昌平橋聖堂神田川

ちなみにこちらは写真13とだいたい同じ位置から、広重さんが描いた江戸時代の浮世絵です。
手前の山のあたりが、今回の淡路坂で、奥の坂が相生坂(NO.161)ということみたいです。
またこの絵のとおり江戸時代にはすでにこんな景色になっていたようですが、対岸の相生坂(NO.161)ともに今回の淡路坂を別名で相生坂とよぶことからも、この二つの坂はもともとひとつの台地で、それを割ってできた場所なんて「江戸東京坂道事典」の説もあるとおり、江戸時代以前はひとつの坂道だったのかもしれないですね。


地図
千代田区神田淡路町2