またこの日がやってきました。
さすがにここまで月日が経ってしまうと、震災を経験した人も神戸には半分くらいしかいなくなってしまったというニュースもありましたけど、それはそれで仕方のないことなのかもなあと。
地震での経験を伝えたり、地震の経験を何かの形でライフスタイルに活かしていくのは大事なことなのかもしれないですけど、なんというかその考えに縛られてしまって身動きがとれなくなってしまうのもいけないかもなあと、最近というかこの1年くらいはよく考えるようになりました。
でも今日だけはその考えに縛られて(笑)いろいろと今後のことについて考えてみたいと思います。

あと地震とは直接関係ないですけど、この数ヶ月のあいだメディアでも騒がれているタイガーマスクさん系の贈り物の話、あれいいですよね。
僕自身、震災の時は神戸に日本中からボランティアの方々がきてくださっていろいろと助けてもらったり、支援物資を寄付していただいた側の身でもあるので、すごく気になっていました。
これからもこういう感じの活動はあってほしいですし、いろんな賛成反対の意見もあるやもしれませんがやっぱりそういう話題も報道し続けてほしいかもなあと。

そして、これは私事で恐縮ですけど、最近、みちくさ学会で神戸の坂道の記事を書かせていただきました。
記事には書いてないですけど、おそらく坂から見える風景や神戸のまちなみも16年まえとは全然違うものになってしまったんだろうなあという感慨が深く、なんていうか今回は新たな発見というよりもしみじみと過去の思い出を掘りおこしながらまわった感じの坂道散歩だったかもです。
また、この記事を書くときに村上春樹さんのエッセイ『辺境・近境』の「神戸まで歩く」を読み返してみました。
個人的には、このエッセイの文中に、
『それからもうひとつ、二年前のあの阪神大震災が自分の育った町にどのような作用を及ぼしたのか、それを知りたかった。』
とあるように震災への思いみたものも同時に綴られているような気がしてならないんですよ。
なんていうかこの村上さんの描いた風景を通して過去を知るというか、そういうある意味過去の神戸の景色がありありと心に浮かんでくる感じがよくてこのエッセイは何度も読んでいるんですよ。
そういうわけで、よくもまあ西宮から三宮まで歩いたものだなあと毎回のごとく感心しながらも、今回僕はエッセイの中や写真編でも登場した香櫨園の浜にぶらりと行き、エッセイに書かれた風景描写を思い出しながらあらためてその景色を眺めてみました。
下の写真はそのときのもので、位置はかなりちがいますけどアングルだけは似せたもので(汗)、手前の池のような水辺(海)のむこうに見えているのが芦屋の海辺の埋立地にある高層団地の群です。
地震当時はあのあたりも液状化現象などで大きな被害を受けましたが、今は見てのとおりの状態です。
ちなみにこのエッセイや写真篇でもでてくる村上さんの通った中学校は僕も通った中学なので、いちおう中学の先輩ということになります。だからというわけではありませんが、エッセイなんかを読むときは特に、(失礼かもしれませんけど)近所にかつて住んでいたとあるおじさんの日記を読むという具合のへんな気楽さを感じてしまったりと、やっぱりいろんな意味で気になる人でもあり影響はうけるかもですよ。
ただ村上さんの他のエッセイではたしか中学時代はあまり良い記憶がないみたいなことを書かれていたと思うのであまりそういうことを強く言えないですけど、僕自身も中学校の校舎内でとある事故にあって、右耳の聴力がほとんどなくなり今でもほとんど音がきこえない状態の続いている怪我をした過去があるので、どちらかというとネガティブイメージの強い場所かもしれませんけど。。
でも地震のときはそれがさいわいしていろんな大音響があまり聞こえなかったんですけどね(←きこえる方の耳を下にして寝るとほとんど物音がきこえなくなるためですね。。笑)。

ということで、この1月17日が近くなると、いつもそうなのですけど、このブログで地震関連の話を書くかどうかで迷ってしまうのですけど、やっぱり今年も書いておくことにしました。


20110117