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所在地:文京区湯島3


なか坂と言うそうで、別名、仲坂とも書くそうです。
場所は、実盛坂(NO.184) の北側に位置し、この坂上から道沿いにてくてくとすこしあるくと、中坂の坂上あたりにやってきて、同じく東西にのびている道を東へと下っていく坂道です。



中坂(NO.185)1
坂上より

坂上からの風景です。
ちょっとこの写真ではわかりにくいですけど、けっこうな急坂で、道自体もなんとなくカーブしている具合が、なかなかいい感じでした。
また、すぐ北側には湯島天神もあるためか、坂上はそれなりに落ち着いた雰囲気で、坂上の横断歩道を横切る時は、「おお!」という感じで、ふと立ち止まって坂上からの景色を眺める人も、僕が坂道散歩しているあいだにも、何人かいましたよ。



中坂(NO.185)2
坂の途中より

すこし、坂を下り、坂上のほうを見てみました。
新旧の建物がほどよくブレンドされた風景というかなんというか、たしかに両サイドの背の高めのビルもたしかに気になる存在ではありましたけど、以外と、圧迫感は感じなかったかもです。



中坂(NO.185)3
坂の案内板

ちなみに、今回は、二枚目の写真の場所から程近いところにあった、坂の案内板の写真をのせてみたのですが、これは、道路側から撮ったものです。
なので、この案内板の後ろは、擁壁らしき壁だったり家の壁が見えているとおり、人がはいるにはあまりにせますぎる隙間しかないんですけど、実は、この後ろ側に、坂の案内説明の文が書かれてあったんですよ。。(笑)
そんなこんなで、裏側にまわって説明をよんでいる時は、みちゆく人々にかなりあやしい目つきでみられましたけどね。。(汗)

それで、その説明によると、
『「御府内備考」に、「中坂は妻恋坂と天神石坂との間なれば呼名とすといふ」とある。
 江戸時代には、二つの坂の中間に新しい坂ができると中坂と名づけた。したがって中坂は二つの坂より後にできた新しい坂ということになる。
 また、「新撰東京名所図会」には、「中坂は、天神町1丁目4番地と54番地の間にあり、下谷区へ下る急坂なり、中腹に車止めあり」とあり、車の通行が禁止され歩行者専用であった。
 このあたりは、江戸時代から、湯島天神(神社)の門前町として発達した盛り場で、かつては置屋・待合などが多かった。
  まゐり来てとみにあかるき世なりけり
       町屋の人のその人の顔かお   (釈 迢空)』
とありました。

妻恋坂と天神石坂とのあいだだから、中坂ですか。
妻恋坂というのは、このブログでもすでにとりあげた妻恋坂(NO.170)のことだと思いますので、じゃあ、これまでとりあげた中坂と妻恋坂(NO.170)のあいだにある坂道は、どれも新しめの坂道ということになるんですかね。
でも、実盛坂(NO.184)なんて、けっこう昔からありそうですけどね。。



中坂(NO.185)4
坂下より

そして、一気に坂下までおりてみました。
なんとなく、カーブしていて、道も長めなので、ちょっとわかりにくいですけど、坂上と坂下の高低差はかなりのものなんじゃないですかね。
ただ、こうしてじっくりとこの風景をみていると、やっぱり電線がやたらと空中を横切っていて、ちょっと落ち着きない感じですかね。。

また、この坂下あたりのことが、「江戸東京坂道事典」に、ちらりと書かれてあり、『中坂下は里俗天神神芸妓とよんだ湯島の花柳街で、江戸時代にも山の手ではいちばん早くひらけた門前町であったが、いまでもこのあたりは古い東京のおもかげをどことなくしのばせる。』とありましたよ。


地図
文京区湯島3