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所在地:文京区湯島3あたり

しみず坂と呼ぶそうです。
場所は、坂下が蔵前通りに面しており、以前にもとりあげた横見坂 (NO.15)のちょうど東側にある坂道です。



清水坂(NO.169)1
坂上より

坂上あたりから坂下のほうを眺めたものです。
見てのとおりけっこうな急勾配具合の坂道で、道幅とのバランスもなかなか悪くない感じでした。
まあ、しいて気になったことといえば、左側にある茶色系のマンションの敷地内からにょきにょきと元気よく育っている樹が、マンションの壁にはりついているように見えていたのが、なんともいえず、思わずにっこりしてしまいましたよ。
ただ、高低差はけっこうある坂道でしたが、まわりはけっこうな高さのマンションが建ち並んでいたので、景色を楽しむという感じではなかったです。



清水坂(NO.169)2
坂の途中より

そして、坂をすこし下り、坂上のほうも見たものです。
すこし歩いただけなのに、もう自分の背丈以上の高さを下りてきたみたいですね。



清水坂(NO.169)3
坂の途中より2

さらにすこしばかり坂を下り、坂下のほうを眺めたものです。
いちおう正面の坂を下った交差点のあたりが、蔵前橋通りということになります。
しかもここの交差点名は“清水坂下”というみたいですよ。



清水坂(NO.169)4
坂下より

最後は坂下からの風景です。
(ほんとうはもうすこしひいた場所(もっと坂下方向の交差点のあたり)から眺めたほうがいい感じに見えたんですけど、とりあえず、今回はこの写真しか撮ってませんのであしからず。。)

ちなみにここには、いつものような坂の案内板があり、
『江戸時代、このあたりに、名僧で名高い大超和尚の開いた霊山寺があった。明暦3年(1657)江戸の町の大半を焼きつくす大火がおこり、この名刹も焼失し、浅草へ移転した。
この霊山寺の敷地は、妻恋坂から神田神社(神田明神)にかかる広大なものであった。嘉永6年(1853)の「江戸切絵図」を見ると、その敷地跡のうち、西の一角に島田弾正という旗本屋敷がある。明治になってその敷地は清水精機会社の所有となった。
大正時代に入って、湯島天満宮とお茶の水の間の往き来が不便であったため、清水精機会社が一部土地を町に提供し、坂道を整備した。
そこで、町の人が、清水家の徳をたたえて、「清水坂」と名づけ、坂下に清水坂の石柱を建てた。』
とありました。

あっそうそう、この案内板の説明にもあるとおり、坂下に石柱があるとのことですが、これ、いつもお世話になっている「江戸東京坂道事典」にも写真つきで載っていたのですが、現地では散歩当時それがあること事態知らずに歩いていたので、まったく気がつきませんでしたよ・・・。
なので、また機会があればみてこようかなと思っていますよ。



地図
文京区湯島3あたり