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所在地:文京区湯島1


じゅもくだに坂と呼ぶそうで、別名、地獄谷坂ともいうそうです。
場所は、東京医科歯科大学の北側にあり、坂上は本郷通りに、坂下はこの前からたびたび登場している蔵前橋通りに面しており、さらにこの通りをはさんで、ずいぶん前にとりあげた横見坂 (NO.15)の坂下もみえていたりする坂道です。



樹木谷坂(NO.167)1
坂下より

まずは蔵前橋通り側の坂下より坂上のほうを眺めたものです。
見てのとおりすでにここからも坂上の様子がみえるほど、距離の短い坂道でした。
ただそのぶん高低差もそれなりにあり、道幅もそんなに広くないためか、坂道らしい坂道というかなんというか、それらしい雰囲気は歩きながら感じられたかなと。



樹木谷坂(NO.167)2
坂上より

そして、いっきに坂上まできてみました。
これといって思いつくことはありませんが、なんとなく落ち着いた雰囲気の坂道だったかなあ
というのが、歩いたときの印象だったかもです。

ちなみにここには、いつものように坂の案内標識があり、
『地獄谷坂とも呼ばれている。この坂は、東京医科歯科大学の北側の裏門から、本郷通りを越えて、湯島1丁目7番の東横の道を北へ、新妻恋坂まで下る坂である。そして、新妻恋坂をはさんで、横見坂に対している。
「御府内備考」には、「樹木谷3丁目の横小路をいふ」とある。
尭恵法印の「北国紀行」のなかに「文明19年(1487)正月の末、武蔵野の東の界・・・並びに湯島といふ所あり。古松遥かにめぐりて、しめの内に武藏のゝ遠望かけたるに、寒村の道すがら野梅盛に薫ず」とある。天神ゆかりの梅の花が咲く湯島神社の周辺のようすである。
徳川家康が江戸入府した当時は、この坂下一帯の谷は、樹木が繁茂していた。その樹木谷に通ずる坂ということで、樹木谷の名が生まれた。
地獄谷坂と呼ばれたのは、その音の訛りである。
なお、湯島1丁目の地に、明治14年(1881)渡辺辰五郎(千葉県長南町出身)が近代的女子技術教育の理想をめざし、和洋裁縫伝習所を創設した。その後、伝習所は現東京家政大学へ発展した。』
とありました。

また、Wikipediaには、本郷通りのことを「本郷通りは江戸時代に整備された日光街道の脇街道であり、徳川将軍家が日光東照宮へ社参する際に利用された街道である。」なんてことが書いており、このことと重ね合わせると、樹木谷という名の由来もすこし納得という感じです。



樹木谷坂(NO.167)3

最後は、おまけがてらです。
これは本郷通り側から撮ったもので、実は今回の坂道の坂上のすぐ真横にでーんと建っており、坂下からの写真でも右側になにげに見えていた「東京ガーデンパレス」というホテルで、見てのとおり正面の見た目(ファサード)が、けっこう凝ったつくりになっていたことから、現地でちょっと気になりぱちりと。(いちおう帰ってからしらべてみると、詳細についてはよくわからなかったですが、やっぱり有名な建築みたいでしたよ。)



地図
文京区湯島1