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所在地:文京区湯島1あたり


しょうへい坂と呼ぶそうです。
場所は相生坂(NO.161)の坂下あたりから北へと上っていく坂道で、地図で確認すると坂下から坂の半分くらいまでは千代田区外神田2で、そこから坂上までは文京区湯島1という具合になっているようです。



昌平坂(NO.162)1
坂下より

坂下からの風景です。
見てのとおりここからも坂上の様子がうかがえるほど短い坂道でした。
ただ、なんとなくゆるやかに見える坂道ですが、右側の建物の位置を坂上と坂下で見比べて見ると建物一層分くらいの高低差はありそうなので、おそらく2mから3mくらい(かなりおおざっぱですけど・・)あるんじゃないですかね。
こうやって写真でみると、やっぱり左側の樹々が印象的なのですが、実際歩いている時は、そこまで上空を見上げて歩かないからかもしれませんが、それほど気になる感じではなかったかもです。



昌平坂(NO.162)2
坂上より

そして、あっというまに坂上まできてしまいました。
なんかここから風景をじっくりとみていると、けっこういろんなものが見えていますね。
あえてあげてみると、正面のとてつもなく大きな塀のようにそびえたっている工事中のビルやら坂下には電柱があるのに、坂上には電柱がないとか(これはあとで地図で確認したところ、坂上の文京区の部分には電柱がないみたいですね)、右側の塀がやたらとレトロというか風情があるというのかわかりませんが、そんなものが見えていたりと、なかなかおもしろい景色だったかなあと。。

ちなみに、ここの昌平坂については、相生坂(NO.161)のほうでも若干ふれていたりしますが、さらに、写真でもちらりと見えているとおり、坂の案内板があり、

湯島聖堂と東京医科歯科大学のある一帯は、聖堂を中心とした江戸時代の儒学の本山ともいうべき「昌平坂学問所(昌平黌)」の敷地であった。そこで学問所周辺の三つの坂をひとしく「昌平坂」と呼んだ。この坂もその一つで、昌平黌を今に伝える坂の名である。
 元禄7年(1694)9月、ここを訪ねた桂昌院(徳川五代将軍綱吉の生母)は、その時のことを次のような和歌に詠んだ。

   萬代の秋もかぎらじ諸ともに
      まうでヽ祈る道ぞかしこき

とありました。
(しかも案内板には、昌平坂の所在地は湯島1丁目1と4の間であると書かれていましたよ。。でも坂下の千代田区内にあるであろう部分に昌平坂と彫られた石の小さな標識らしきものもあったんですよね・・・。うーん。まあ余計なおせっかいですけどね。(笑))



昌平坂(NO.162)3


昌平坂(NO.162)4

最後は、おまけがてら。
2枚目の写真の右側に見えていた立派な塀の石垣のすきまからたくましくというべきかなんというかわかりませんが、ぺんぺん草(おそらく)なんかも含めた名無し草が数種ほど生えていてなんだか気になりぱちぱちと。。



地図
文京区湯島1あたり