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所在地:文京区湯島1


あいおい坂と呼ぶそうで、別名で昌平坂や団子坂とも言うそうです。
場所は、御茶ノ水駅そばにあり、駅からも実は見える坂道で、聖橋(このブログでも何度か登場していますが)のあたりがちょうど坂上になっている坂道です。



相生坂(NO.161) 1w
坂上より

坂上からの景色です。
見た感じはなだらかな坂という感じですが、実際歩いている時は、もうすこし体に感じるくらいの勾配具合だったかもです。
坂道自体は道幅も広く、整備も行き届いているかんじで、すぐよこにはJRや神田川が並行に走っています。
あと、坂道の途中から街路樹がなくなっているのが、なんでかなあと、ちょっと疑問に思ったりもしましたけどね。。



相生坂(NO.161) 2w
坂の途中より

今度は坂の途中より坂上のほうを眺めたものです。
なので正面に見えているのが聖橋です。
坂と橋が一緒に楽しめるなんてなかなか、いままでの坂道散歩でも数少ない場所だったような気が・・・。
しかも、電柱がないので空が広く見えますね。



相生坂(NO.161) 3w


そいで、せっかくなので、JR御茶ノ水駅のほうもちらりと。
なんだか後ろの高層ビルがなければ、ここはどこ?というくらいレトロな雰囲気が漂っているような気がしてしまいましたよ。
ただ現地では、高層ビルの左側あたりにニコライ堂の建物がチラリと見えるはずなんですけど、この写真では緑で隠れてしまっていて見えていませんね。




相生坂(NO.161) 4w

坂下あたり

そうこうしているあいだに、あっというまに坂下あたりまできてしまいました。
この写真はさらに坂下のほうへと続く道を眺めているものですが、ちょうどこれをそのまま道沿いに行くと秋葉原へと行けたりします。
またこのちょうど左側には湯島聖堂への入口もありましたよ。
(湯島聖堂については、また機会があれば散歩するかもしれませんが、今回は最後のほうでちょこっとふれるのみにしておきますよ。)

ちなみにこの坂道にはいつもの坂の碑みたいなものはありませんでしたが、坂の由来がかかれた案内板があり、

神田川対岸の駿河台の淡路坂と並ぶので相生坂という。
「東京案内」に、「元禄以来聖堂のありたる地なり、南神田川に沿いて東より西に上る坂を相生坂といい、相生坂より聖堂の東に沿いて、湯島坂に出るものを昌平坂という。昔はこれに並びてその西になお一条の坂あり、これを昌平坂といいしが、寛政中聖堂再建のとき境内に入り、遂に此の坂を昌平坂と呼ぶに至れり」とある。そして後年、相生坂も昌平坂とよばれるようになった。
 昌平とは聖堂に祭られる孔子の生地の昌平郷にちなんで名づけられた。

  これやこの孔子の聖堂あるからに
     幾日湯島にい往きけむはや   法月歌客  

とありましたよ。

また、はじめにちょこっとでてきた団子坂という別名は、ここが悪路で転ぶと団子のように泥まみれになる(江戸東京坂道事典より)という意味から名付けられたらしいです。

あっ、そうそう、そういえば広重さんの名所江戸百景の「昌平橋聖堂神田川」に、かつての相生坂(昌平坂)や湯島聖堂も描かれていたみたいなので、ウィキペディアのページもリンクしておきますね。
→「昌平橋聖堂神田川


地図
文京区湯島1


おまけ

ここからは、ちょっとおまけがてらですが、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典に、湯島聖堂のことがちょこっと書かれていて、その中で三島由紀夫の小説『にっぽん製』(昭和27年作で、映画の原作にもなった小説のようです←ていうかこう言いながらもまだ読んでない小説なんですけどね・・・(汗)。)に、当時の湯島聖堂や聖堂から相生坂をはさんだニコライ堂までの景色の描写が語られているようなので、せっかくだから(江戸東京坂道事典より)抜粋してみましたよ。(暇な方はどうぞ。。)

「ここ、どこ」
「聖堂です」
美子はその名をきいたこともなかった。
「つまり、孔子さまの廟です」
「あの孔子さまのね」
 門を入ると、人影はまるでなく、静かな前庭の一隅の、筵の上にトウモロコシのきいろい実がいっぱい干してある。新しい筵と、その実のいろとが、暗い木立を背景に、大そう新鮮だった。
「こんなところに、こんな静かなところがあるの、知らなかったわ」
「いつか、講道館のM先生につれて来ていただいたんです」
 ゆるやかなひろい石段の石には糸杉や木斛の低い生垣が、左には電車通りに接した土堀があった。入徳門、という金字の扁額をかけた黒いいかめしい門をくぐりかけてふりかえると、すぐむこうにニコライ堂の円屋根が、さえた冬空を切り抜いてうかんでいた。