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今回は、前回とりあげた目切坂(NO.154)の中で書いてしまいたかった話でも。
というのも、目切坂(NO.154)のある道を歩いたことがある方なら、逆に、あれなんで書かなかったの?というような内容だったりするものなもんで。。



元富士跡1

ということで、見てのとおり、こんなものが目切坂(NO.154)の坂上あたりにあったんですよ。
まあ簡単にいえば、富士山のミニチュアが、かつてこの案内板のうしろのマンションが見えているあたりにあったそうです。

また近くには、「目黒元富士跡」と書かれたすこし古めの案内板もあり、その内容をそのままのせてみるとですね、
『目黒元富士跡 上目黒1−8
 江戸時代に、富士山を対象とした民間信仰が広まり、人々が集まって講をつくった。それを富士講という。
 富士講の人々は富士山に登るほかに、身近なところに小型の富士を気づき、これに登って山頂の石祠を拝んだ。
 このマンションの敷地にあった富士は文化9年(1812)上目黒の富士講の人々が築いたもので、高さは12mもあったという。文政2年(1819)中目黒2丁目に新しく富士が築かれ、それを新富士と呼ぶようになってから、ここの富士は元富士といわれるようになった。
 元富士は明治11年(1878)に取りこわされ、石祠の講の碑は昭和18年(1943)上目黒氷川神社に移された。
 昭和58年3月 東京都目黒区教育委員会』
なんてことが書いてありましたよ。

なので、もうここには、かつて12mもあった元富士のことをしめすものはなにも残っていないということになりますかね。
これらの案内板以外は。。



元富士跡2

せっかくなので、かつて元富士があったであろう場所をパチリと。
現在は、この大きなマンションがあるのみでした。
ちなみにも、ちょこっとネットで調べてみると、ここは「目黒元不二」として、広重も「名所江戸百景」で描いていた名所だったんですね。
(いちおうウィキペディア以外にも、江戸東京博物館のサイト内でも見れるページもありましたのでこちらもリンクしておきますね→目黒元不二


住所
目黒区上目黒1−8