ふじみ坂とよぶそうで、これも赤坂御用地内にかつてあった坂で、いつもお世話になっている江戸東京坂道事典によると、”東京市史稿・遊園篇”の西園記に、
「富士見坂 凌雲道鳳鳴閣へ登る坂路、松林の間に屈曲、千層雲を摩するの思あり」
と、この坂道のことが書かれているそうです。
ただ、これだけ読むとよくわからない感じもありますし、各単語を検索したりしてもよくわからなかったのですが、とりあえず、いまのところ予想できるとすれば、見隠坂(NO.146) の中ででてきた「邸内には、見隠坂山屋敷坂等が八つもあり、・・・」ということからも、この富士見坂も庭園内に存在した8つのうちのひとつの坂道なのかもしれないということぐらいですかね。
そんな感じで、今回もこれで書くこともなくなってしまったのですが(汗)、とりあえず、なにも写真をのせないのもさびしい限りですので、赤坂御用地まわりの写真(今度は西面を中心に)でも。。
写真1
なんというか、外掘り通りに面してこんな感じの立派でちょっとやそっとのことではつぶれなさそうな塀がずうーと、敷地内の北側にある迎賓館のあたりから続いていて、この写真だけみるとなんてことないようにもみえますが、さすがにこれが数百メートルも続いているとかなりの圧倒感があったかもです。(写真1)
写真2
ただ、さらに外掘り通りを南下していくと(下っていくと)、紀伊国坂(NO.142) でもちらりと見えていたかもしれませんが、こんな感じで塀が奥のほうにいってしまい、そのあいだに緑地帯みたいなものができて、松林とはいかないかもしれませんが、なんとなく上の西園記ででてきた松林を想像させてくれる松が何本か見えていたりもしました。(写真2)
ということで、今回(今日の投稿)は、山屋敷坂(NO.147) とあわせて、さらりとそれぞれ流そうと思い、2エントリーをいっきにアップしてみたのですが、いざ各エントリーを書いていたら以外とあれもこれもとなってしまった感じですが、よかったら前回の分とあわせて、どうぞ。。
地図
港区元赤坂2あたり
「富士見坂 凌雲道鳳鳴閣へ登る坂路、松林の間に屈曲、千層雲を摩するの思あり」
と、この坂道のことが書かれているそうです。
ただ、これだけ読むとよくわからない感じもありますし、各単語を検索したりしてもよくわからなかったのですが、とりあえず、いまのところ予想できるとすれば、見隠坂(NO.146) の中ででてきた「邸内には、見隠坂山屋敷坂等が八つもあり、・・・」ということからも、この富士見坂も庭園内に存在した8つのうちのひとつの坂道なのかもしれないということぐらいですかね。
そんな感じで、今回もこれで書くこともなくなってしまったのですが(汗)、とりあえず、なにも写真をのせないのもさびしい限りですので、赤坂御用地まわりの写真(今度は西面を中心に)でも。。
写真1
なんというか、外掘り通りに面してこんな感じの立派でちょっとやそっとのことではつぶれなさそうな塀がずうーと、敷地内の北側にある迎賓館のあたりから続いていて、この写真だけみるとなんてことないようにもみえますが、さすがにこれが数百メートルも続いているとかなりの圧倒感があったかもです。(写真1)
写真2
ただ、さらに外掘り通りを南下していくと(下っていくと)、紀伊国坂(NO.142) でもちらりと見えていたかもしれませんが、こんな感じで塀が奥のほうにいってしまい、そのあいだに緑地帯みたいなものができて、松林とはいかないかもしれませんが、なんとなく上の西園記ででてきた松林を想像させてくれる松が何本か見えていたりもしました。(写真2)
ということで、今回(今日の投稿)は、山屋敷坂(NO.147) とあわせて、さらりとそれぞれ流そうと思い、2エントリーをいっきにアップしてみたのですが、いざ各エントリーを書いていたら以外とあれもこれもとなってしまった感じですが、よかったら前回の分とあわせて、どうぞ。。
地図
港区元赤坂2あたり
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