所在地:新宿区若葉1あたり

さめがはし坂と呼ぶそうです。
場所は、前回の紀伊国坂(NO.142) のすぐ西側の位置にあり、赤坂御用地の敷地に沿って南西に下っている坂道です。



鮫河橋坂(NO.143)1
坂上より

坂上から見たものですが、左側には赤坂御用地があり、その敷地内の緑や、坂道の街路樹が青々と茂っていてなんともいえない雰囲気をつくりだしていました。
なんというか、街路樹の高さや茂り具合、そんでもって道路の幅なんかのバランスがとてもここちいい感じのスケールなのかなと思いました。。



鮫河橋坂(NO.143)2
坂上あたり

今度は、同じ位置からさらに坂上の方を眺めたものです。
いちおうこのまま道なりに北上すると、それほど遠くないところに四谷駅があったりします。



鮫河橋坂(NO.143)3
坂の途中より

そして、坂道を下り、坂下のほうを見たものです。
なかなか勾配具合もいい感じで、写真でもちらりと見えていますが、この道をずっと下っていくと神宮外苑に行けることもあってかどうかわかりませんが、ジョギングをしている人がけっこういて、歩道で何人もの人たちが僕の横を走りすぎていきましたよ。



鮫河橋坂(NO.143)4
坂下より

そいでもって、坂下まできてみました。
ここから見ると、坂の途中で感じた勾配具合とは違い、思っていたよりすこし緩い感じだったのかなと思ってしまいましたが、坂道の距離自体がけっこう長かったので、高低差はそれなりにあるのかもしれませんが、そう見えただけかもしれないのかなと。
あと、地図でみるとこの道路を境にして、赤坂御所がある右側が港区となり、左側にはなにやら公園らしきものが見えていますが、その公園(みなみもと町公園というそうです)がある場所が新宿区となっているみたいです。

ちなみにここにはいつもの坂の碑はなかったのですが、この左側に見えているみなみもと町公園の案内看板にこの鮫河橋坂に関することも書かれており、
『みなみもと町公園一帯は、昔から低い土地で、ヨシなどの繁った池沼があり、周囲の土地からわきだす水をたたえ、東南の方向へ流れて鮫河となり、赤坂の溜池にそそいでいました。
江戸時代になってからは水田となり、寛永年間に行われた江戸城の外堀工事の際に余った土で埋め立てられて、町になったといわれています。
鮫河には橋が架かっていて、鮫河橋と呼ばれていました。鮫河橋は「江戸名所図会」にもとりあげられて有名になったので、この付近一帯を鮫河橋と呼んだ時代があり、今でもみなみもと町公園前の坂に「鮫河橋坂」という名前を残しています。』
とありました。
また、永井荷風がこの鮫河橋付近に関する描写などを「日和下駄」の中で(1915年出版とあるので、かなり古い本なので、かなり昔の描写なのですが・・・)書いているのですが、ちょっと長い文なので、今回は引用しませんが、興味があるかたは”永井荷風 日和下駄 鮫河橋”なんかで検索してみるといくつかでてくるみたいなので、どうぞ。。



地図
新宿区若葉1あたり