ブログネタ
地域文化 に参加中!
所在地:港区元赤坂2

きのくに坂と呼ぶそうで、別名で紀国坂とも書き、赤坂ともいうそうです。

場所は、弾正坂 (NO.140)の坂下から道なりに北上すると外堀通りにぶつかるのですが、そのあたりから通りに沿って北へとあがっていく坂道が紀伊国坂ということになります。

なので、あえていうこともないかもしれませんが、この外掘通り(の一部)が紀伊国坂ということになり、かなりダイナミックな景色が楽しめる坂道だったりもします。

紀伊国坂(NO.142) 1
写真1(坂下あたりより)

坂下から坂上のほうを見たものですが、かなり幅の広い外掘通りの道とあわせて外掘の真上を通っている首都高速が、なにか怪獣のようにどかっとそびえ建っていました。(写真1)

あと勾配具合はけっこう急で、自転車でこの坂道を走るにはかなりきつい感じで、どこかで一回は休むか押していかないときついだろうなあなんて思ったりもしました。

紀伊国坂(NO.142) 2
写真2(外掘り)

また、ちょっと右側を見ると、首都高速のむこうに外掘が見え、そのさらにむこうに森のようにも見えるうっそうと茂った木々が見えたりと、なかなかいい感じの景色が広がっているようでした。(写真2)

紀伊国坂(NO.142) 3
写真3(ホテルニューオータニ)

さらに、すこし坂道をのぼり、外掘りの向こうのほうを見ると、ホテルニューオータニが見えていました。(写真3)
ここからみると、上部に見える円の形をした部分には、回転する展望台レストランがあるはずなのですが、なんでもあの巨大な展望台をメリーゴーランドのように回転させるためには、ふつうの方法ではうまくいかなかったらしく、あの戦艦大和の主砲の回転技術がわざわざ使われているらしいのですが、そんな騒々しいことを想像させる技術が使われているとは思えないほど、ニューオータニのHPをみると、展望台のレストランはおしゃれなビュッフェダイニングのようでしたよ。

紀伊国坂(NO.142) 4
写真4(坂の途中より)

さらに坂道をあがってくると、坂道自体はかなりのカーブを描いていたので、ここからは坂下のほうはみえませんでしたが、外掘通りというかこの坂道に沿って走っていた首都高速と、ちょうど同じくらいの高さになるくらいまで坂道があがってきているようでした。(写真4)
そういうふうに見ると、けっこうな高低差をあがってきたことになりますかね。

紀伊国坂(NO.142) 5
写真5(坂の途中より2)

そして、今度は坂上のほうを見るとこんな感じでした。(写真5)
まあ、なんてことない感じなのですが、都心のど真ん中の道の割には、なんだか緑がいっぱいあって、ふとどこかの郊外の道へトリップした気分になってしまったかもです。。

紀伊国坂(NO.142) 6
写真6(坂の途中より3)

でも、後ろを振り向くと、こんな感じで、高層ビルが建ち並んでいる風景が・・。(笑)(写真6)

紀伊国坂(NO.142) 7
写真7(坂上あたり)

そんでもって、さらに坂を上がり、坂上の方を見たものですが、左側に赤坂御用地、右側に外掘というなかなか変わったロケーションの間を、両サイドに植えられている街路樹やら御用地の緑、外掘側の緑などが混じりあって、ほんと緑の大通りという感じでした。(写真7)

ということで、あとはだいたい平坦な道がこのまま続き、もうすこし歩く感じなのですが、とりあえず、今回はこのあたりまでにしてみました。

ちなみにここには、いつもの坂の碑があり、『坂の西側に江戸時代を通じて、紀州(和歌山県)徳川家の広大な屋敷があったことから呼ばれた。赤坂の起源とする説がある。』とありました。

(追伸:ブログエントリー後、なにげなく上に載せたもの以外の写真を眺めていたら、この坂の坂上あたりの信号機に通りというか坂の標識があり、それが写っている写真をみつけたてしまったのですが、なんと「紀之国坂」と書いてありましたよ・・・。ということは、タイトル自体を変えることになってしまいそうですが、今回はここでの補足のみということで、ご勘弁を。。)

地図
港区元赤坂2

関連リンク:  
→  紀伊国坂 【NO.142】その2/ 港区元赤坂 - 東京坂道さんぽ