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所在地:港区赤坂7あたり

しん坂とよぶそうで、”しんざか”という言い方と”しんさか”というふたつのよび方があるそうです。

場所は、稲荷坂 (NO.135) のすぐ近く(北西)にあり、地図でみると赤坂7丁目と8丁目のあいだを北西に上がり、そのまま道沿いに行くと、青山通りまで通じている坂道です。

新坂 (NO.136) 1
坂下より

坂下からの様子ですが、車一台がふつうに通れるくらいの道幅といった感じで、勾配具合も緩やかな坂道というのが、ここの第一印象でした。

それと、写真では、左側からせり出している立派な木々のおかげで、すこし暗い感じに見えていますが、実際に歩いている時には、あまりそんなことは感じず、それより周辺の落ちついた雰囲気が、気になったかもです。

ちなみに、ここには写真でも見えていますが、いつもの坂の碑があり
『できた当時は、新しい坂の意味だったが、開かれたのは古く元禄十二年(一六九九)である。しんさかとも発音する。』
とありました。

新坂 (NO.136) 2
坂上あたりより

いきなり、坂上まできてしまいましたが、もうこのあたりまでくると、勾配具合もほとんどなくなり、ほぼ平坦な道となっていましたが、やっぱりここからも、坂の途中あたりからちらちらと姿をあらわしていたミッドタウンが遠景に見えていました。

あと、坂下を歩いたときにも感じたこの坂道にただよう落ち着いた雰囲気は、ここまできてもそれほど変わらず、やはりこのあたりは閑静な住宅街なのだなということは、あらためて感じることができましたし、周辺の坂道と比べてもこの坂道はそういう雰囲気を持った場所なのかもと思いました。
(というか、あとで書きますがすこしばかり先入観もあったので、こう感じた部分も多かったかもしれません。。しかも、今回は写真を撮りそこねましたが、地図をみてもらうとわかりやすいのですけど、僕の立っている位置の左うしろのほうにカナダ大使館があったんですよ。。)

あと、余談ですが、この坂下あたりで生まれた三宅艶子の”赤坂新坂町”という回想記の一文に「私が生まれたのは、赤坂新坂町八二番地である。(略)私の家は新坂という坂の下にあった。何という名前か今は忘れたが、すぐそばにあと二つ坂があり、三つの坂の下のくぼみのようなところであった。 新坂町は、坂の途中から上にかけては屋敷町で、今でもそこは閑静な住宅地だが、昔は何候爵、誰子爵というような家が多く、華族でないまでも、大きな家が並んでいた。(略)」と、このあたりのかつての描写が書いてありました。ちなみにこれは、いつも参考にしている”江戸東京坂道事典”に書いてあったことで、なるほどー、と思ったので、書き留めておいたのですが、実際に歩いたあとで、この文をあらためて読むと、ああそうだったのか、うーん納得、という面も多かったです。

地図
港区赤坂7あたり