所在地:港区南麻布2あたり
ぜっこう坂と呼ぶそうです。
場所は、薬園坂 (NO.104) の東側を、南北に走っており、坂下は明治通りに面している坂道です。
坂下より
明治通りより、てくてくと登ってみました。
勾配具合はちょうどよく、道幅はみてのとおり、車一台が通れるかなという坂道でした。
坂の途中より
すこし坂道をのぼり、坂下あたりを見てみました。
ちょうど、正面にみえている高速道路の高架とその下を走っている道が、明治通りということになります。
また、右側にすこし見えていますが、ここには、いつものような坂の碑があり、
『承応二年(一六五四)坂の東側へ赤坂から曹渓寺が移転してきた。初代和尚絶江が名僧で付近の地名となり坂名に変った。』
とありました。
(要は、この坂に面してある曹渓寺の絶江和尚さんというかたが、名僧であったところから、絶江坂という坂名がきているということみたいですね。)
坂上あたりより
どうやら、もうすこし上のほうまで坂は続くみたいなのですが、このあたりで、勾配がほとんど感じられなくなったこともあり、このあたりで坂下の方を眺めてみました。
このあたりは、地図でみるとわかりやすいのですが、坂のまわりにお寺がたくさんあるようで、写真の左側にみえている塀の向こう側もお寺の敷地(あとで地図で確認してみると、上ですこしふれている曹渓寺のようです)で、墓地になっていました。
ちなみに、3枚目の写真の左側に見えている塀と木を坂下のほうからみてみると、工事中なのかどうかわかりませんが、なんともよくわからないつくりの塀となっていましたよ。
また、この塀のむこうにある曹渓寺には、赤穂義士の中で一人だけ生き残った寺坂吉右衛門のお墓があるそうですよ。
最後に、坂道を歩いていると、もしかしたら、(ふつうに街中にあるものなのかもしれませんが・・)ふつうの住宅の塀に消火器のはいった、しかも、地域の避難場所をしめした金属製の地図がはりつけてある消火器ケースがとりつけられているのを見つけてしまいました。。
なんといっていいやらわかりませんが、とりあえず、この組み合わせにびっくりという感じでしたよ。
(でも、こういうのって、いざというときにありがたかったりするんですよ。)
地図
港区南麻布2あたり
ぜっこう坂と呼ぶそうです。
場所は、薬園坂 (NO.104) の東側を、南北に走っており、坂下は明治通りに面している坂道です。
坂下より
明治通りより、てくてくと登ってみました。
勾配具合はちょうどよく、道幅はみてのとおり、車一台が通れるかなという坂道でした。
坂の途中より
すこし坂道をのぼり、坂下あたりを見てみました。
ちょうど、正面にみえている高速道路の高架とその下を走っている道が、明治通りということになります。
また、右側にすこし見えていますが、ここには、いつものような坂の碑があり、
『承応二年(一六五四)坂の東側へ赤坂から曹渓寺が移転してきた。初代和尚絶江が名僧で付近の地名となり坂名に変った。』
とありました。
(要は、この坂に面してある曹渓寺の絶江和尚さんというかたが、名僧であったところから、絶江坂という坂名がきているということみたいですね。)
坂上あたりより
どうやら、もうすこし上のほうまで坂は続くみたいなのですが、このあたりで、勾配がほとんど感じられなくなったこともあり、このあたりで坂下の方を眺めてみました。
このあたりは、地図でみるとわかりやすいのですが、坂のまわりにお寺がたくさんあるようで、写真の左側にみえている塀の向こう側もお寺の敷地(あとで地図で確認してみると、上ですこしふれている曹渓寺のようです)で、墓地になっていました。
ちなみに、3枚目の写真の左側に見えている塀と木を坂下のほうからみてみると、工事中なのかどうかわかりませんが、なんともよくわからないつくりの塀となっていましたよ。
また、この塀のむこうにある曹渓寺には、赤穂義士の中で一人だけ生き残った寺坂吉右衛門のお墓があるそうですよ。
最後に、坂道を歩いていると、もしかしたら、(ふつうに街中にあるものなのかもしれませんが・・)ふつうの住宅の塀に消火器のはいった、しかも、地域の避難場所をしめした金属製の地図がはりつけてある消火器ケースがとりつけられているのを見つけてしまいました。。
なんといっていいやらわかりませんが、とりあえず、この組み合わせにびっくりという感じでしたよ。
(でも、こういうのって、いざというときにありがたかったりするんですよ。)
地図
港区南麻布2あたり